山城国葛野郡の地形と桂川灌漑域 geomorphology and Katsura River Irrigation System of Kadono District in Yamashiro Province 

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はじめに

 秦氏(大山咋命)の根拠地である葛野の範囲を特定したいと思う。この範囲は古代のそれである。丹の海Part 1では,丹の海干拓の時代を古墳時代後期としており,丹の海干拓の時代は,古代という枠組みよりも遡るが,この古代の範囲と古墳時代後期の範囲が近似するという前提でここに,秦氏の活動範囲を想定する。

 亀岡盆地の丹の海干拓となぜ葛野がつながるのか。ぼくは大山咋命の丹の海干拓に関わる事業の当初の目的は,葛野への導水にあったと考えるからである。保津峡の亀岡盆地の入り口付近(請田口)は,硬岩存在ゆえの滝または早瀬があって,葛野は渇水年には稲作が困難な状況であった。それゆえ,葛野の灌漑のために,請田口の滝(硬岩)開削が必須と考えられ,実際に実現されたと思うのである。そして亀岡盆地側からすると,盆地底が干拓されることになり,耕地と生活地上圏拡大という結果になったと思われるのである。

古代タニハ「丹の海」とその排水プラグを 地形発達史から復元: Part 1 「丹の海」復元 (教養) 木庭元晴(著) 形式: Kindle版 

 さて,この葛野の領域がそのまま,研究対象にはならない。そこから,保津川による灌漑域を想定することになる。

1. 山城国葛野郡の範囲

 根拠は次の引用の次に示す。

——— 引用〜山城国葛野郡の範囲(GeminiPlus)
古代律令制下の山城国葛野郡(かどののこおり)は、現代の地図上で見ると京都盆地の西北部エリア(京都外盆地西側および右京区・西京区を中心とした地域)に該当します。

地図上の主な範囲

現在の行政区画に照らし合わせると、以下の地域が概ねかつての葛野郡に該当します。

  • 京都市右京区(太秦、嵯峨、梅津、西院、京北地区などを除く主要部)
  • 京都市西京区(桂、松尾、上桂など桂川西岸の北・中部エリア)
  • 京都市中京区・下京区の西側(大宮通より西側のエリア)
  • 京都市北区の西南一部(衣笠、金閣寺周辺など)

地形・河川による四方の境界目安

  • 東限: 大宮通(旧大宮大路)付近
    • これより東は愛宕郡(おたぎぐん)や平安京の中心部に接していました。
  • 西限: 松尾山・嵐山などの西山山地
    • 嵐山・松尾大社周辺の山麓までが含まれます。
  • 南限: 桂川(大井川)沿い、旧久世郡・乙訓郡との境界線
    • 桂川を渡った西岸(松尾・桂周辺)も含みますが、乙訓郡との境付近までが南端となります。
  • 北限: 北山山地の南麓(衣笠山・北野・原谷周辺)
    • 鷹峯や衣笠の山裾から南が葛野郡の範囲です。

引用〜おわり ———

——— 引用〜山城国葛野郡範囲の根拠(GeminiPlus)
『和名類聚抄』(和名抄)(平安時代中期/源順 編)

  • 根拠の要点: 国郡部において山城国葛野郡に属する「郷」の名が記録されています(太秦郷、櫟谷郷、葛野郷、梅津郷、川辺郷、楓野郷、葦戸郷など)。これら「郷」の地名が現在の太秦・桂川沿岸・梅津などに比定できるため、郡の広がりを特定する一次根拠となります。

『延喜式』神名帳(平安時代中期/延長5年・927年成立)

  • 根拠の要点: 葛野郡に鎮座する式内社が列挙されています。松尾神社(松尾大社)、平野神社、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)、梅宮神社(梅宮大社)、櫟谷神社(櫟谷宗像神社)などが葛野郡二十座として記載されており、これらの神社の境内や神領の広がりから葛野郡の東西南北の概ねの領域が判明します。

『日本書紀』・『続日本紀』・『日本後紀』などの六国史

  • 根拠の要点: 桓武天皇による平安京遷都に関する記録(「山背国愛宕・葛野二郡の地」に都を造営した記述)や、渡来系氏族である秦氏(はたうじ)の開拓・治水伝承(葛野大堰の建設など)が記されています。

引用〜おわり ———

 さて,

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