生垣剪定2026春 Hedge Trimming Spring 2026

はじめに  2年冬だったか3年冬だったか掛かって西倉庫の片付けが終わった。そして冬必須の生垣剪定をはじめた。これについては,2025年秋の草木刈 以来の書き込みだ。 1. 4月中旬から下旬にかけて  玄関自生のコバノミツバツツジとクロモジの開花に気づいた。  まずはお隣さんの希望を感じてまずは北ヤード西辺の生垣だ。14PM, Apr. 16  刈ったあとを次に。18PM, Apr. 16  刈ったアラカシを隣地に運んだ際に発見。もうペンキが剥がれて下の青地がみえている。太陽に半世紀曝されてかなり風化している。  北ヤード東部の刈る前の生垣は:  北ヤード東部の刈った後の生垣は Apr. 17, 2026:  玄関の石碑前:  北ヤードの西部生垣の刈る前:  北ヤード西部生垣付近のアリアケスミレ:  北ヤード西部生垣中のウツギ(卯の花):  北ヤード西部生垣を完了:   コタツを撤去して: 艮コーナー。毎年だが何故かアラカシの葉が大きい。餅を包める。25cm長ほど。 以上,Apr. 24, 2026  2026年4月26日,艮岩そばの生垣のヤード側とトップを剪定した結果が図28, 29。  図30は,Apr. 24, 2026のほぼ完成形。  艮岩と西辺の水路側から刈りたかったが,雨が降ってきて,艮岩のみ実施。次回は西辺水路側だ。  雨降りなので工作を実施した。資料整理の場所として和室を使わざるを得ず,ステンレスラックを和室に置くために,廃棄した家具から取り置いたベニア製の50cm余長の二枚の板からステープラーを外したり,切り落とした。電動サンダーと紙ヤスリで怪我したり畳などを傷つけないように作業を実施した。 以上,2026年4月26日。

上水道の口径変更 Downsizing the water meter 

はじめに  上下水道基本料金について,父がタニハから離れて当方の自宅に居るようになって昇天して,さらにその後も気づかなかった。おそらく20年ほど,上下水道の基本料金7260円/2ヶ月,を支払ってきた。単純計算すると,7260 x 6 x 20 = 87万円余りになる。通帳から自動引き落としだったので気づかなかったのである。  プロパンガス代金なども使用料ゼロでも3ヶ月に1回ボンベ交換があって,3300円がやはり自動引き落としされていた。父がタニハを離れて15年ぐらい後に,これに関心が向くようになった。ボンベ交換の際にポストに請求書が入っていたからである。ポストの内容物はほぼ廃棄物と見ていたのでこの請求書にも目が止まらなかった。父の銀行口座からの自動引き落としなので自ら痛みを感じなかったことも大きい。残額だけ数年に1回チェックしていたかも。  電気代は全く使いわない場合,500円余りだったかなあ。なんといっても固定資産税が最悪ではある。  水道料金の引き落としに気づいた時に,亀岡市上下水道局に電話したが,口径25mmゆえに高いとのこと。一般家庭の13mmに減径したら7260円 が2000円?ぐらいになると聞いたが,道路下の本管との接続部の工事が必要で40万円ぐらいとか聞いたので,減径を断念したことがあった。  数日前に,閉栓開栓の連絡シートとともに,4ヶ月基本料が無料になるというビラがタニハのポストにあって,これに関して上水道の担当者と電話で話していたら,(いまは?)メーター交換だけで,減径が可能かもしれないという。亀岡市の指定業者リストを紹介された。 1. 業者に電話して  近所の業者に電話しても取らないか,現在使われていないというメッセージ。当方の固定電話もそうだが,固定電話が光電話になって,インターネット放棄をしてしまうと,電話も通じなくなる。  株式会社と銘打っているところがいいと考えて電話したら,二件目に留守番の奥さんと話すことができて,主人から電話があった。明日会う予定だ。  その後,電話があって,15万円ほどだという。メーター交換だけだと思ったので,モノタロウなどでメーターの価格を調べたら1万円ほどだ。  なお,亀岡市城下水道局から電話があり,口径25mmを減径する場合,口径20mmに変更するらしい。最低の口径13mmと同じ基本料だそうである。15万円の内訳をGemini Plusに尋ねた結果が次。   項目 推定費用 内容 事務申請手数料 約3,000円〜 市役所(上下水道局)へ納める構造変更の審査手数料 設計・申請代行費 約3万〜5万円 指定業者が図面を作成し、市役所へ申請を行うための人件費 工事費・材料費 約5万〜8万円 メーター周りの配管の掘削、改造、アダプター取付、埋戻し 諸経費・諸税 残り 廃材処分費、車両費など  材料費は1万円ほどで実際工事といっても,小さな金属枠を外して,部品追加または交換に過ぎない。廃材処分といっても1000円もしない。ぼくがクリーンセンターに運べば拳大のメーターの重量だけ。  実質費用は次に。 1. 水道メーターの製品名と実売価格 水道メーターは計量法に基づき8年ごとに交換が必要なため、自治体が指定する「検定合格品」が使用されます。一般的に国内でシェアが高いのは以下のメーカーです。 2. 25mmから20mmへの「減径アダプター」 25mmの配管(メーターユニット)に20mmのメーターを設置するための「伸縮アダプター」や「減径用ソケット」が存在します。 2. 業者に接して  相見積もりをとることを伝え半分程度の減額希望を 伝える。少なくとも2軒に電話して非常識な回答だけなら中止する。 以上,2026年4月23日。  昨日(4月24日),元栓ボックス内を掃除して待っていて,業者が来てくれた。前述のように,15万円と言われていたので,工事内容を調べた上で,使用部品代金がモノタロウで最大でも15000円を切るし,届出作業については,市の図面に朱を入れるだけだから,半額にしてほしいと,伝えた。ニヤニヤ笑っていて,業者の生活費からきた価格だと言っていた。ここは造園土木もやってる会社。見積もりも断った。  明後日(27日),二軒ほど電話してみるか? 3. メーター交換時期に申請したら?  図1,図2のように,泥を除去して布で表面を軽く拭き取った。図3のように,「検定有効期限 2027年8月」とある。来年夏までだ。市役所に交換するなら口径20mmに替えてもらうことが可能かどうか,尋ねてみる価値はある。尋ねて初めて教えるのが役場の常套であるから。 以上,2026年4月25日。 4. Geminiplusに聞いてみた 4.1 亀岡市上下水道局への具体的な「切り出し方」 電話ではなく、**安町釜ケ前(亀岡市上下水道部庁舎2階)の「お客様サービス課」**の窓口で、名刺を添えて以下のようにお話しされるのが良いかもしれません。 「25mmから20mmへの減径を希望している。来年8月に検定満了を迎えるが、その際、公費での交換と同時に20mmへ変更してもらいたい。 指定業者からは作業実態(アダプターの装着のみ)と乖離した15万円という見積もりが出ており、これは独占禁止法や行政サービスの公平性の観点から見て著しく不適当である。 市として、定期交換の機会を捉えた『低コストな口径変更』を認める柔軟な運用はないのか?」 まずは,業者2件に電話だ。 以上,2026年4月25日。

新修亀岡市史 the Newly Revised Kameoka City History

はじめに  「丹の海」に関わる部分に関心がある。古本を探したが,新本販売中にもかかわらず送料を入れると新本の価格になってしまう。全く不要な資料編第3巻と,参考にはなるかもしれない資料編第5巻を「日本の古本屋」窓口から購入した。  亀岡市文化資料館で新本を購入するつもりだが,本文編第1巻,資料編第1巻,資料編第4巻,5,000×2 + 6,500 = 16,500円になるか。  昭和三十五〜四十年出版の『亀岡市史』上,中,下揃いと,昭和三十六年出版の『篠村史』(非売品)と,昭和六十年出版の『故郷鎮守の森 亀岡神社誌』も同窓口から購入した。いずれもリーズナブルな価格だ。まだ届かないが。 追記 2025年10月23日: 『亀岡市史』上,中,下,『篠村史』,資料編第3巻,資料編第5巻が昨日,届いた。『亀岡市史』上,中,下は明らかな盗難品で,上巻だけに残っていた所蔵機関の後継部局(京都歴史資料館)に電話したら,送らなくて良いという。中下巻の扉は見にくく破かれているが,この経緯を上巻の扉に示して,一応,使おうと思う。まあ,盗る方は悪いけど,盗られる方も問題ありだな。荒っぽい破り方からするとかなり大量に盗んだようだ。 1. 全8巻の内容紹介  驚くほど簡単な紹介だ。次の「2.各巻目次」が用意されているのは,2巻分だけ。 本文編第1巻 地理・考古・古代・中世前期 872頁 付録 緑豊かな亀岡の自然環境の成り立ちを再検証。また、人々の営みを草創期から足利尊氏の挙兵までを叙述した通史編です。【平成7年1月刊行・第1回配本】 メモ:新本で購入することになるだろう,5000円(税込) 本文編第2巻 中世後期・近世 1,064頁 付録 元弘3年(1333年)の足利尊氏の篠村八幡宮での旗揚げのころから、明治維新を目前にした慶応3年(1867年)の戊辰戦争前夜のころまでを対象とした通史編。【平成16年3月刊行・第7回配本】 本文編第3巻 近代・現代 1,080頁 付録 慶応4年(明治元年・1868年)から平成元年(1989年)までの、近代・現代の亀岡地域の歴史を叙述した通史編です。【平成17年7月刊行・第8回配本】 資料編第1巻 考古・古代・中世 1,448頁 付録 考古では、市内で発掘された旧石器時代から江戸時代にわたる遺跡126カ所を図や写真で詳しく紹介し、古代では、丹波国全体を対象とした文献史料219点、木簡資料69点を収録、中世では、明智光秀が丹波入りする直前の天正2年(1574年)までの1,558点の文献史料を収録しました。【平成12年1月刊行・第4回配本】 メモ:新本で購入することになるだろう,5000円(税込) 資料編第2巻 近世 1,336頁 付図 近世(江戸時代)の亀岡に関する史料を集めました。領主編・広域編・地域編にわけて、領主や亀山藩のことや、争論や水運・街道のこと、各村々の様子などを示す史料を多数掲載しました。【平成14年3月刊行・第6回配本】 資料編第3巻 近代・現代 1,326頁 付録 明治から平成までの近代・現代の亀岡に関する史料を集めました。本編は史料が中心ですので、「グラフかめおか20世紀」と題した写真集を付録としました。なつかしい写真がいっぱいです。【平成12年11月刊行・第5回配本】 メモ:古本で購入済み。 資料編第4巻 地域・文化財(建築・美術・民俗・地理) 1,042頁 付録 市内の寺社建築や仏像や美術品などを網羅。祭や年中行事など、ハレの民俗を収載。亀岡を航空写真と地形図の対比で知ることができます。都市地理的に重要な統計資料も収録。別冊としてCDに民謡や祭囃子などを収録しました。【平成8年3月刊行・第2回配本】 メモ:新本で購入することになるだろう,6500円(税込) 資料編第5巻 亀岡の民俗誌 1,230頁 市内の7地区の生活の様子を口頭伝承にこだわらず、生活史を語る文献史料も積極的に活用して詳細に叙述した民俗誌編と、亀岡祭の行列帳の翻刻や懸装品の一覧、方言の資料や、有形民俗文化財として梵鐘など埋け型の原型や民具、石造文化財などの一覧を収めた資料編で構成しています。【平成10年3月刊行・第3回配本】 メモ:古本で購入済み。 2. 各巻目次  一体,何が生じているのか,わからないが,各巻目次があるのは,本文編第1巻と資料編第三巻の二巻分だけだ。これはテキストで掲載する。他のコンテンツが無いので,画像データ(PDF)を掲載する。 本文編第一巻 目次 発刊のことば 谷口義久監修のことば 上田正昭 序章 亀岡盆地の史脈と伝統 (2) 第一章 亀岡の自然環境 (22) 第一節 亀岡市の位置と広さ (22) 第二節 亀岡の地質と構造 (26) 第三節 亀岡市およびその周辺の地形概観 (42) 第四節 亀岡の地形誌 (61) 第五節 自然と人間 (90) 第二章 丹波の黎明 (108) 第一節 旧石器時代の丹波 (108) 第二節 狩猟と採集の社会 (123) 第三節 農耕社会の成立 (148) 第三章 古墳文化と古代豪族 (180) 第一節 古墳時代のはじまりと丹波 (180) 第二節 前方後円墳の世界 (207) 第三節 群集墳の展開 (234) 第四節 丹波と倭王権 (267) 第四章 律令体制の成立 (316) 第一節 古代寺院の成立 (316) 第二節 国郡郷制度と農民生活 (350) 第三節 丹波国府の造営 (370) 第四節 国分寺と国分尼寺 (391) 第五節 古山陰道の変遷 (432) 第六節 村落と条里 (446) 第七節 仏教美術の伝播 (481) 第五章 王朝の世界 (494) 第一節 山背遷都と丹波 (494) 第二節 酒呑童子の伝説 (521) 第三節 生産技術の発達 (547) 第四節 寺社の文化 (594) 第五節 仏教美術の光華 (609) 第六章 院政と源平の争乱 (626) 第一節 院政の成立と受領層 (626) 第二節 平氏政権と源平争乱 (648) 第三節 仏教美術の発展 (680) 第七章 公武政権の相克 (696) 第一節 幕府の成立と承久の乱 (696) 第二節 荘園と地頭 (719) 第三節 鎌倉後期の丹波 (746) 第四節 仏教美術の普及 (770) 第五節 鎌倉時代の建築文化 (783) 略年表 (810) 巻末資料 付録 本文編第二巻 目次  ブラザー複合機で性能はあまり宜しくなく,本をまずは紙コピーして,それを600dpiで給紙スキャンした。 資料編第一巻 目次 資料編第三巻 目次 『グラフかめおか20世紀』目次刊行のことば 田中 英夫監修のことば 上田 正昭 近代 一 史料解説 (3) 二 亀岡の明治維新 (16) 三 亀岡の近代化と再興 (140) 四 第一次大戦と亀岡の発達 (288) 五 昭和恐慌と戦争への道 (408) 六 総記 (550) 現代 一 史料解説 (685) 二 戦後亀岡の再出発 (694) 三 亀岡市の誕生 (902) 四 新たな発展と亀岡市 (982) 統計資料 (巻末から) […]

天井裏の蜂巣除去のために業者さんが天井板に開けた穴に蓋をすべく To cover the hole that the pest control operator made in the ceiling to remove the hornet nests

はじめに  十年以上前か,父昇天ののち,隅田山崎さんがタニハに十五年間,神奈川県茅ヶ崎から通って頂いた。その間,お二人の寝室となった二室は清潔で保存状態がよかったが,通われなくなったあと,人の気配がないので,特に屋根裏は動物の住処となって,壁に大量の蜜が流れてきて,業者を呼んで蜂蜜退治を。大きな簾のようなミツバチの巣が二つありました。その後,アシナガバチ,ちいさなスズメバチの巣なども。  業者さんが開けた穴を図1に。壁の最下部の黒ずみは蜂蜜の堆積部である。アリが嗅ぎつけたら大変なことになるなあ。  この穴のために天井裏から大量の昆虫が室内に入って,荒れ放題。長く放置してきました。 屋根裏への小動物と昆虫の侵入口を塞ぐ には,部屋の荒れようや,大工さんに入ってもらって,屋外からのイタチなどの天井裏への侵入路を断つなどの対策を書いています。  図2,3は昨日,やっと掃除した二室を示す。図3の南室については,図1の天井板開口部の方で,しかもガラス戸で明るく,雨戸はぼくが何も考え得ないアホは時代に捨ててしまった影響が出て,室内の畳や木材が太陽光で破壊されてしまったのである。  図2の障子は業者さんに依頼して二年ほど前かに,貼り替えた。昆虫が外光に誘われて突撃した後が生々しく表現されていた。とにかく,障子をガラス窓から外して放置していたのである。この障子にアシナガバチの死骸がひっついているので摘もうとしたら何と生きていた。図3奥の最も日焼けした畳を中途半端に一部外していたので,畳の下にはびっしりとカメムシが冬眠していた。  この1ヶ月余り,この部屋のタンス二つの処分または移動のために,母屋三間南廊下の整備をしてきた。やっと部屋から家具がなくなり,掃除することになった。 1. 天井穴に蓋を  まずは,天井裏との通路を遮断することである。開口していると,屋根裏に入った昆虫達が天国への道のように勘違いして部屋に流入してくる。一応,屋外と屋根裏への通路は遮断したはずであるが,イタチやヘビなどは入れなくなった?が,細い隙間がかなりあって蜂などが歩いて入ることは可能と考えている。これも工事で閉鎖するにはかなりの費用が発生することがわかり,断念した。日本建築の限界だ。  図1の天井板の桟の壁際を見るとわかるが,壁の横方向の桟と天井板の縦方向の桟の隙間に,取り去った天井板の破片が見えている。天井板はいわば家具全体の一部のように設置されている。構造的には天井裏側にあらたな天井の板を貼れば良いのであるが,両桟の間に新たな天井板を突っ込まねばならず,工事過程で,天井板全体の構造を弱体化する可能性がある。それが最大の天井裏説をリジェクトする理由である。造作工事も困難が予想される。  そこで,天井板の部屋側に貼り込む方法を選択する。適当な板を購入することに。 2. 蓋の材料←廃棄  天井板の厚さはほぼ2mmである。近所のコーナンプロに行ったが,そういう製品はないそうだ。豊中により上位のプロショップがあるらしい。コーナン関係のネット販売を調べたがアマゾンで購入可能な製品に該当するものはない。モノタロウにはあるが一枚だけ買うのにはかなり高い。  プリント合板 パイン 【2.5×600×900mm】【O】(オカモク,アマゾン)が最もいいようだ。1080円+送料880円。 注意:  Sun., Feb. 22, 2026到着待ちだ。割れてはいないだろうなあ? 追記 2026年2月21日: この考えは廃棄した。第五章に。 3. 部屋側に固定する考え←廃棄  昨日,現場で天井裏側からの修復を考えていたので,穴よりも一回り大きいサイズ,幅47cm x長さ75cmとしている。部屋側からだと,図1に見える横桟の内幅にして長さは75cmぐらいになる。父の辞書用の固紙(A3サイズか)がいっぱいあるので,この場に複数当てて,ホッチキスで留めて,型紙を作って,これを使って,プリント合板をベニア用ノコで切れば良いだろう。その際,図1の屋根裏側の縦方向の桟の位置を型紙に記しておく。型紙の位置を天井板に鉛筆線で記しておく必要がある。  図4にタニハの天井の構造図を示す。  次に天井板に設置固定するネジが必要だ。Geminiに尋ねた。 ——— 引用〜 部屋側から設置し、かつ将来的に何度も開閉できるようにする(メンテナンス性を確保する)という計画、非常に合理的です。ご要望に合わせて、木材同士を固定するための「蝶ネジと受け金具」のセットと、隙間を埋めて遮光・防虫するための「スポンジテープ」の2点を、Amazonで購入できる具体的な製品カテゴリーからご紹介します。 3.1 木材同士を留める「蝶ネジ」と「受け金具(鬼目ナット)」 木材に直接ネジをねじ込むと、何度も開け閉めするうちにネジ穴が馬鹿になってしまいます。そこで、天井の「桟(さん)」の方に**「鬼目ナット」という金属のネジ穴を埋め込み、部屋側から「蝶ネジ」**で締める方法が最も確実で、工具なしで外せます。 3.2 光を遮蔽し、虫の侵入を防ぐ「糊付きスポンジテープ」 既存の天井板と新しい蓋の間に挟んで「パッキン」の役割をさせます。光を通さないよう、厚手で高密度のエチレンプロピレンゴム(EPDM)などの素材が適しています。 引用〜おわり ——— 4. スライド式に←廃棄 4.1 蓋用化粧板の問題 Geminiに質問: そこで屋根裏を気にせずに工事をする方法を考えた。天井の穴は天井板二枚分のサイズになっている。穴を構成する隣接する竿縁の内側の幅が44cmとして,穴の竿縁方向の長さを天井板二枚分で73cmとして,蓋用の2 mm厚のプリント合板 44cm x (73 + 3 x 2)cmを用意する。竿縁の穴側の側面に留め金を何ヶ所が装着して,スライド式に嵌めるのはどうだろうか。この場合の留め金の装着間隔とか,適当なアマゾンの留め金商品を紹介ください。密封する方法も教えてください。この方法だと蓋を外すのも簡単だと思われます。 Geminiの回答から考え直したこと: 蓋用の化粧板 2.5mmをスライド式にするのは腰がないので種々の工夫をする必要があるようだ。そこでまだ発送していないので,キャンセルの要望を出した。結果待ち。 以上,2月14日(土)。  メール待ちと考えたがメールがこないので,購入履歴をみたら,キャンセルが受け入れられていたので,薄すぎる材料から回避できた。 以上,2月16日(火) 4.2 手持ちの板で  母の桐ダンスを廃棄した際に,一部の引き出しの底板などをキープした。幅40cmを満たさないので,縦長の板を3枚使って,竿縁44cm幅に切り揃えて3枚を使うことにしよう。穴長73cmに対して長めの板を接合して使うことになるか。明日,現物を確認するが,例えば,35 cm 幅,厚さ 6 mmとする。  Geminiに聞く文章を次に:屋根裏の蜂の巣除去のために,業者さんが二本の竿縁間の天井板を切り取って,44 cm 幅✖️73 cm 長の穴が開いています。この穴を塞ぐのに例えば,35cm幅で厚さ6mmの長い桐のタンスの底板を使いたいと考えています。竿縁の厚さを3 cm とした場合,この隣接する竿縁の穴側にレールを設置して,桐のタンスの底板3枚を使って一つの板にして蓋をしたいと思っています。天井裏に入りたい場合はこの板をスライドして外します。底板の切断面は直線的で三枚使うとして隣接する板の隙間はほぼ無いと考えています。3枚の板を接して,35 cm x 3 = 105 cm 長 の板の長軸方向の両側面に何らかの固定金具をセットして,一枚の板として,これを蓋にしたいと思います。以上について,アドバイスをお願いします。  さて,結構複雑な回答があった。まずは桐板のサイズの確認だな。  アルミL字アングル(20mm × 20mm程度)の長さは板のサイズより多少長くする。コーナンプロにあるか? スライドして天井に残るようにすると,アルミアングルは1.5mほどが必要になる。一々外すことも考えたが,穴を開いても板が天井に残す方がいいだろう。しかし,開けた際に,この板の掃除をした方がいいから,残さない方向がいいな。レールが竿縁側面に見えるので圧迫感がある。  とにかく,明日,板を計測して一枚板をまずは作ってみるか?ジェミニは天井裏側に補強材をセットせよというが部屋側にセットしないと隙間ができる。 以上,令和8年2月17日。 5. はめ込み式に決定  スライド式は,かなりの労力が必要だ。また最初のはめ込み式に戻ったが,Geminiに聞くと,天井裏の作業が入ってくる。 Geminiに聞く原稿:開口部 44 cm x 73 cm には,切り取った厚さ2mmほどの天井板の破片が壁側の回り縁と天井裏側の野縁の間に見えます。開口部の中央部近くを遮って野縁が見えます。天井裏側に入り込まない形で板を嵌め込みにできませんか。←結局だめ。 5.1 蓋材は自前  回答は別にして,蓋になる材を探したがネット上にもコーナンプロにもない。そこで廃棄した母の桐ダンスから採取した桐タンス引き出しの底板を調べた。桐タンス底板(397mm x 830 m),これが幸い二枚確保していた。穴は(435mm x 730mm)なので,桐タンスの縦長部を切断して使わざるを得ない。そうすると,桐タンス底板二枚を使わざるを得ない。もう少し残しておけばよかったと後の祭りではあるが,とにかく十分な材が確保できた。その途中経過を図5,図6に。  図6では両材にネーミングしている。右手が北矢印A,左手が北矢印Bである。ネーミングしている面が部屋側になる。木目の汚れが比較的少ない方を部屋側にした。それぞれの板を開口部にあてて,入るようにはなった。 5.2 桐板接合用桐スノコ強化法 Gemini回答: 厚さ8mmの桐板同士を、同じく8mmの桐スノコ板で連結するという計画ですね。桐は非常に柔らかく割れやすいため、ネジ選びと下準備が成功の鍵となります。合計16mm(8mm + […]

父の著作と背広と the collection of my father’s masterpieces and wardrobe

はじめに  父の最晩年著作本の在庫を捨てる訳には行かない。これがやたらに多く長く廊下に山積みになっていた。父昇天のちに移動してダンボール箱の下にスノコを敷いたりしてきたのだが,どうにもならず,メタルラックを購入して過去,整理していたのであるが,まだ残っていた。それを昨晩ついに,全部メタルラックに入れることができた。長くメタルラック設置の場所が確保できなかったが,衣服の箪笥を廃棄してスペースを開けた結果である。  残っていた整理ダンスなど4個を廃棄した。その中の衣類はかなり処分したが,父の背広などや母の着物の反物を一部残した。東の間に置いていた箪笥一つと段ボールに何とか整理できたのである。これで次のステップ?に頭が回ることになる。一つ一つ解決することで,次の作業テーマが見えるのである。懸案の倉庫に残ったものにまた掛かろうか。暑くなると蚊も出てきて入れなくなる。 1. 家具廃棄例  図1のように,西之間南側廊下には,家具3個があって,無駄な抵抗感で残すべくクリーニングもしたが,結局すべてを廃棄した。図2や図3のように,一部,修理用にと残した。整理ダンス廃棄は一人で実施するにはかなり重かった。図4のように二分してクリーンセンターに運んだ。図5〜9のように,雑巾掛けをしたが全く汚れは取れず,サンダーを使用した。 2. スティールラックを使用  図10の確保していたラックを使用して図12にあった段ボール箱を収納した。新たにラックを2本注文し,図13にあった段ボール箱を収納した。 3. 衣類と本の整理と  図14〜19に見える箪笥は東棟から移動したもの。唯一の箪笥になった。内装は桐製。大きな引き出しは父の背広で満杯になった。それで母の着物は図18のような段ボール箱(メタルルミナスラックのもの)に入れたが詰めすぎになってしまった。  図20には今回の本収納結果を示している。二つの段ボールの山であったが,この二竿だけでなく,以前収納した図21の最上段の二段重ねの隙間を埋めることで何とか収納できた。かなりの重量で廊下が沈没しないか心配であるが,父の話では本収納ために三間の周辺を強化したことを聞いていた。父が嬉しそうにぼくに伝えた時の状況を思い出すのであるが。母の着物を二分するために残りのラックを組み立てて,もう一つの段ボール箱を確保した。図20に見えるように,ラック屋上に二箱を載せている。蓋が開かないように松製のスノコを重しとして利用している。  なお,衣類はすべてアマゾンから購入した不織布で包み,防虫剤を入れている。[不織布 袋 特大 入り数量:10枚。寸法: 約高さ60×長さ90cm。開口部は90CMの長辺]で10袋1700円ほど。20袋を使用した。 おわりに  また懸案の一つが一応ではあるが片付いた。次は倉庫か,それとも昨年冬に倉庫から出した書類の整理か,それとも………。この冬の仕事であった。 以上,2026年3月2日。

日本タニハ文化研究所の使命とは What is the mission of the Nihon Taniha Cultural Research Institute?

はじめに  昨日,タニハで整理していて,日本タニハ文化研究所立ち上げの新聞に出会った。父の社会的動員力に改めて脱帽である。記事の内容を見ると,父の立ち上げ時の思いが伝わってくる。立ち上げの年月日がぼくには,はっきりしなかった。昭和四十九(1974)年10月十八日である。父に最もかかわりのある熊本県山鹿市の瑞霊苑碑との関係があるかと思うが,まだ把握できていない。  この投稿ではアイフォーンで撮影した新聞記事の紹介をし,その後,同研究所での活動の一端を示して,同研究所の今後について考えたいと思う。 1. 京都新聞記事2件 1.1 昭和49年10月8日(火)記事 丹波の歴史解明の拠点 タニハ文化研究所が完成  丹波の歴史を解明しよう ー と、亀岡市本梅町平松で建設が進められていた「タニハ文化研究所」がこのほど完成。十八日には地元民ら関係者を招きしゅん工式を行う。これまでの建設の中心となってきた同市古世町北古世、歴史研究家木庭次守さん(五七)は「ここを拠点に埋もれた資料を収集、ユニークな丹波文化史をまとめたい」と意気込んでいる。  木庭さんは熊本県の出身で,昭和七年、大本熊本支部で初代教主出口王仁三郎師に会って以来、その人物と著書にひかれ大本教に入った。木庭さんと出口教主との親交は、昭和十年から始まった大本弾圧など(を)通じますます深められたが,一方で、世界統一などを叫ぶ出口氏を生んだその風土を理解したい ー と丹波文化に興味を持ちはじめた。  「たんば(丹後、但馬を含む)は、古代二大文化圏の大和、出雲地方に匹敵する文化発祥の地で、むしろたんぱの文化が両地方に波及した」というのが木庭さんの仮説。天橋立を中心に大陸との交流が行われた ー と見ているが,これらを裏付けるまとまった資料がない。丹波文化解明の資料が少ないのは「都に吸収されると同時にこの文化が全国に散らばった」と木庭さんは言っている。  ナゾの多い丹波の文化史をまとめるには、これら資料を全国から集めるとともに、埋もれている郷土史家の研究や古文書,伝説などを一堂に集め、研究者の意見交換の場が必要として,全国各地の有志二十人が集まり,建設委員会を設立,研究所の土地約三百平方メートルは地元の農業森義一さん(八六)が趣旨に賛同して提供した。歴史学者の上田正昭京大教授らが顧問に名を連ね、昨年四月中旬から建設が進められてきた。  完成した同研究所は、木造平屋建、約二百七十平方メートル。うす緑色のレンガで建物の周囲は石で囲まれている。「タニハ」の名前は丹波の語源から取った。木庭さんら関係者は「丹波は足利尊氏,明智光秀,出口王仁三郎ら反骨精神盛んな興味ある人物が輩出しており、今後埋もれた資料などを集め研究していけば,これまでの学説をくつがえすような丹波文化史が出来上がるのでは…」と研究所の完成を喜んでいる。 (写真説明:亀岡市に完成したタニハ文化研究所) 1.2 昭和49年10月19日(火)記事 まず10年間で古代史 取り残された歴史を発掘  ナゾの多い丹波の歴史を解明しようと、亀岡市本梅町平松で進められていた「タニハ文化研究所」の完成披露式が十八日、同研究所研さん室で開かれた。  席上、建設の中心となってきた同市古世町北古世,歴史研究家木庭次守さん(五七)は「ここを拠点に十年計画で埋もれた資料などを集め、丹波文化史をまとめると共に、日本古代史の多くのナゾをも解明したい」と意欲を披露した。  完成した同研究所は、木造平屋建て約二百七十平方メートル。研さん室のほか書庫,宿舎,談話室などがあり、タニハの名は丹波の語源から取った。全国各地の協力者の寄付金をもとに昨年夏から着工していた。研究グループは,木庭さんの趣旨に賛同した長野,鳥取,熊本各県の全国各地の郷土史家や民俗研究家たちで、徳川宗敬日本博物館協会会長や上田正昭京大教授(古代史)らも協力を申し出ている。  披露式は午前十時から開かれ、平田亀岡市長、酒井同議長ら地元名士のほか上田穣京大名誉教授ら六十人が参加、上田教授は「ここを拠点に日本文化の花が立派に開花することを期待しています」とあいさつ。ビールなどで乾杯し完成を祝った。  計画では三十年間の長期予定で、丹波総合史の編集作業に着手。初期の十年は丹波古代史の執筆、残り二十年は丹波の中世、近世の史料収集と執筆を行う。木庭さんは「たんば(丹波、但馬を含む)は、古代二大文化圏の大和、出雲地方に匹敵する文化発祥の地で、むしろたんばの文化が両地方に波及した」と大胆な仮説を打ち出している。  このため木庭さんはじめ関係者は「これまでの日本史の中から丹波研究は取り残されてきた。全国に散在している丹波に関する史料を集大成すれば、丹波の一大文化圏が浮かび上がり、これまでの学説をくつがえすような歴史的真実も現れるのでは……」と研究所の完成を喜び合っていた。 (写真説明:タニハ文化研究所の完成披露式) 2. 解説  父から当時の森儀一さんとの出会いは聞いている。不思議だなあ,と繰り返し言っていた。いくつか建設の候補地があったが,森儀一さんとの出会いが大きかった。森さんは出口王仁三郎を敬愛していたという。そこで父に土地の永年無料貸与となった。ぼくは一度父と儀一さんと娘の綾子さん宅にお邪魔してご挨拶したことがある。お二人に歓待していただいた。  旧大阪府道・京都府道731号天王亀岡線(おおさかふどう・きょうとふどう731ごう てんのうかめおかせん)が敷地の前を通っている。この天王亀岡線は,大阪府豊能郡能勢町から京都府亀岡市に至る一般府道であるが,父存命中にこの南の谷筋にバイパス建設が始まって,今は府道ではあるが,このバイパスが天王亀岡線となった。  敷地は,この府道から谷底への斜面で何段かの棚田があった場所だ。建物の基礎が課題だと父から聞いていた。その後,また出会いがあって?山から大量の岩の捨て場所に困っている?方があって,その岩を使って埋め立てることになったと父から聞いている。ぼくにとっては断片的な話である。  その後,義一さんが昇天されて,綾子さんから父に老後の費用を無心されるようになり,親戚一同との高い圧の話し合いにぼくも筧さん(元大本青年部長で父とタッグを組んで多数の出版業務を実施)と同席した。ぼくが大学院博士課程の時代である。結局,当時500万円余りで購入したようである。当時,この場所の登記をした北野司法書士事務所(現亀岡市役所の前)に行って聞いたが妥当な価格だと言っていたのであるが,数年前に京都府山城町の環境問題に関わった際にわかったのであるが異常に高値であった。  さて,「天橋立を中心に大陸との交流が行われた 」というのは,予言者出口王仁三郎の『霊界物語』に基づいている。 ——— 引用〜『霊界物語』第十六巻序文  いよいよ本巻ほんくわんより、古称こしよう自転倒おのころ島じますなはち現代げんだいの日本にほん国内こくないにおける、太古たいこの霊界れいかい物語ものがたりとなりました。十五じふご巻くわんまでは天教山てんけうざんおよび大台おほだいケ原山はらさんを除のぞく外ほかすべて海外かいぐわい諸国しよこくの物語ものがたりです。  本巻ほんくわんには、神かむ素盞嗚すさのをの大神おほかみの生うみませる八乙女やおとめの御お一人ひとり、英子姫ひでこひめが、メソポタミヤの顕恩郷けんおんきやうより、邪神じやしんのために老朽船らうきうせんに乗のせられて海原うなばらに流ながされ、漸やうやくにして日本海にほんかいを横断よこぎり、丹後国たんごのくに天あまの橋立はしだて附近ふきんの竜燈松りうとうまつの根元ねもとに安着あんちやくし、大江山おほえやまに割拠かつきよせるバラモン教けうの大棟梁だいとうりやう鬼雲彦おにくもひこの部下ぶかの悪党わるものどもに出会であひ、種々しゆじゆ辛酸しんさんを嘗なめ、遂つひには由良ゆらの湊みなとの人子ひとごの司つかさ秋山彦あきやまひこの館やかたに身みを遁のがれ、ゆくりなくも、父ちち素盞嗚すさのをの大神おほかみおよび国治立くにはるたちの命みことの御おん分霊わけみたまなる国武彦くにたけひこの命みことに面会めんくわいし、大江山たいかうざんに鎮しづまり給たまふ鬼武彦おにたけひこ一派いつぱの白狐びやくこに救すくはれ、或あるひはウラナイ教けうの棟梁株とうりやうかぶ、高姫たかひめ、黒姫くろひめの死者狂しにものぐるひの大活動だいくわつどうより、剣尖山けんさきさん麓ろくの谷川たにがはにおける御禊みそぎの修業しうげふ、皇すめ大神おほかみの貴うづの御舎みあらかの建設けんせつならびに天あめの真名井まなゐ嶽だけに向むかつて、悦子姫よしこひめは四五しごの従者じゆうしやと共ともに進すすみ入いり、豊国姫とよくにひめの尊みことの御ご降臨地かうりんちを探たづぬる一条いちでうや、厳いづの御魂みたま、瑞みづの御魂みたまの大神おほかみが、綾あやの高天原たかあまはらの蓮華台れんげだい上じやうに、神秘しんぴ的てき経綸けいりんの基礎きそを開ひらき給たまふ深遠しんゑんなる経緯けいゐの大略たいりやくを述のべて置おきました。猶なほ引続ひきつづき数巻すうくわんに亘わたり内地ないちの物語ものがたりであります。 引用〜おわり ——— 飯塚弘明の王仁DBコンテンツ使用  これだけ見ても,もちろん理解できない。この部分こそ,天孫降臨に関わる場面と父は考えていた。『霊界物語』研究のアプローチとしてタニハ文化の追求があったのである。門脇禎二(1986)『日本海域の古代史』東京大学出版会,の内容は,天橋立竜燈松よりかなり後のことと考えて良い。  上掲記事で述べらている研究方針は残念ながら実現されていない,というか記事どおりではない。父の現史学へのロマンが記事と関わる言動に繋がったのであろうが,木庭次守の研究の中核は出口王仁三郎口述『霊界物語』であった。日本タニハ文化研究所の設立は父の何十年にも亘って準備された夢の実現であったと思う。この成果については別途,示したいと思う。  図3と図4は,木庭次守編・木庭元晴監修(2010)『霊界物語ガイドブック』八幡書店,からピックアップしたものである。図3の第十六巻梗概のはじめに,「いよいよ本巻から自転倒島(おのころじま)すなはち現代の日本国内における太古の霊界物語である」,とある。図4の左図は,第十七巻に関わって掲載された「綾部付近の略図」を示している。  記事中の「これまでの日本史の中から丹波研究は取り残されてきた。全国に散在している丹波に関する史料を集大成すれば、丹波の一大文化圏が浮かび上がり、これまでの学説をくつがえすような歴史的真実も現れるのでは……」とあるが,「埋もれた資料」というのは結局,遺跡遺物にあたる。郷土史家や好事家が秘匿している資料ではない。いわば,縄文遺跡からメソポタミアとのつながりに関わる遺物が発見されたとすると,竜燈松のエピソードが証明されたことになるのだろうが,『霊界物語』では歴史的時間が簡略短縮化されているため,メソポタミヤの顕恩郷けんおんきやうから天橋立に辿り着くのは各地を経由して何千年か何世代も経てのことであり,せいぜい周辺地域からの渡来ということにはなるのではある。  なーんだあ,やっぱりー,という笑いが出てくるかもしれないが,父は王仁三郎との出会いで実際に不思議を体験して霊界物語については確信しているのであるが,ぼくも独自に多くの不思議を発見し証明することができる。すでに作成した論文をKindle版で公開するつもりである。  出口王仁三郎口述『霊界物語』は,王仁三郎が高熊山修行で霊感修得した世界観であって,現在の歴史学的知見とは相容れないが,実は王仁三郎説は荒唐無稽ではなく,事実に基づいているという木庭次守の確信からの発露なのである。  簡素な資料と素朴な歴史観から構築されてきた現在の歴史学,は,いわば「埋もれた資料」をも利用してきたものであり,父の論点からでは,『霊界物語』の世界は,素朴な思考を続けてきた研究者には受け入れられない,とぼくは感じている。父は生涯,周囲の研究者を尊敬し憧れもしてきて,その延長で,『霊界物語』を現代社会に根付かせようとしたのであるが,この二つの世界の間には途方もないほど高い壁がある。  亀岡市史は,亀岡市史編纂委員会編(1960)『亀岡市史』と亀岡市史編さん委員会編(1995〜2000)『新修亀岡市史』があるが,いずれも大本教団や出口王仁三郎には一切触れていない。戦後の原水爆禁止運動や世界連邦運動では大本教団は日本さらには世界的に活躍したのであり,「世界連邦・非核平和都市」宣言第一号は綾部市で,第二号が亀岡市であることを見ても,大本教団の役割がわかるが,それでも完全無視をしているのである。上田正昭は,『大本七十年史』『新修亀岡市史』の編集責任者であったが,歴史から大本教団と出口王仁三郎を排除しているのである。  父の言う「埋もれた歴史」というのは,実はこの現実を言っていると考えられるのである。木庭元晴は,古代タニハ「丹の海」とその排水プラグを地形発達史から復元 ,のPart 1を2026年春にまとめた。その過程で亀岡盆地中南部の弥生・古墳時代の先進性について学ぶことができた。偶然,父の夢の一部を形にすることができて嬉しい。これは関西大学文学論集Vol. 75, No. 4に掲載される。近いうちにKindle版でも発行したいと思っている。主に自然地理学的手法を使っている。地形学的観点から学会誌にも掲載予定である。 以上,2026年3月6日。 3. 資料廃棄過程  残された資料を見ると,亀岡市文化資料館からの資料,園部町教育委員会からの資料,などの地元行政機関からの資料,複数の大学宗教学教室のタニハでの合宿の報告書,メジャー出版社から発行された教養シリーズなどである。これらは日本タニハ文化研究所立ち上げ後のもので極めて零細な収集である。  朝日新聞とその関連の資料(eg. 朝日ジャーナル)は戦後ずっと続けて収集されてきたもので膨大で,スペース確保のために,ほぼすべて廃棄した。日本岩石鉱物鉱床学会誌,日本第四紀学会誌,日本地質学会誌,日本鉱物趣味の会誌なども膨大で,戦後出版されたすべてが揃っていたがほぼ全部廃棄した。タニハで保管する意味がないからである。  父は紙一枚,廃棄できない人であった。残っている原稿用紙束も多かったが,最初の数ページだけ書いて,残りは白紙という形が多い。この現象をみて,ぼくの小学生時代を思い出した。小学校の担任の先生から母が呼び出されて,ぼくのノートの使い方が,最初だけ書いて白紙のままで,あらたにノートを買っているという悪習癖を指弾されたのである。悪いこととは知りながらその傾向が消えなかった。潔癖な父とずぼらな僕との類似性である。  父はやたらと紙を集める習癖がある。本や論文作成というか事典の索引作りのために見出しなどが印刷された厚紙がやたらと多く残っている。ぼくは廃棄しきれずにその半分近くは残してきたが,近いうちに廃棄する必要があるだろう。廃棄するにしても,まずは残しておくと,廃棄しやすくなる。 以上,2026年3月4日。  いま,大量のお玉串袋を廃棄している。父の宗教さらに研究活動を支えていただいた方々の志である。もちろん,父を信頼してこられた方々であって,父ゆえの力とも感じられる。残すのも一つの選択であるが,とにかく,省スペースの方針でゆくしかない。手紙やハガキも捨てたが,論理なく,通信記録を残している。  大量の写真もあるが父はメモを全くと言って良いほどしないので,いつ,どこで,がわからない。なぜ,これほどまで,記録しないのだろうかと思う。 2026年3月11日。 4. 残すべきものは さて。 以上,令和8年3月6日。

倉庫の引き違い戸の錠前交換 replacing the sliding door lock on a warehouse

はじめに  本館に隣接する倉庫の整理を始めて何年だろうか。たぶん4年目。1年目は倉庫地下,西端水路沿いの倉庫の整理をして,2年目の冬の開始時には錠前を開けることができず,バールで破壊して,それ以来,多少不用心かもしれないが施錠をしてこなかった。半世紀ほど放置されてきた資料の整理と処分,そして,完全に空き家にして,倉庫自体を撤去するつもりであった。もう春になったが,なんとか,遅くともこの2026年4月はじめまでには空にできそうに思う。撤去を業者さんに依頼すると,出た材木やトタンなどでぼくが運べるものについてはぼくが処分するとしても,どうしても100万円ほどは掛かるだろう。  如何に撤去するかをここ2年ほど考えていたが,知人から一時的に書籍を二年ほどか,預かる約束をしたので,その置き場所にここが適当ではないかと,突然,考えるようになった。もしそうなら,施錠が必要になる。  今日,その施錠を実現したので,記録をこの投稿に残す。 以上,2026年3月19日 1. 倉庫整理再開 Mar. 15, 2026  アルミニウム玄関引戸を図1に。この右手のスペースが図2のパノラマ写真。かなり片付いた。通気が悪く紙の古びた臭いがする。また,再開だ。早く終了したい。 2. 引き違い戸錠前は内引き戸の方は残っていた  図3のように,バールで破壊したのは外引き戸の錠前で,図4のように,内引き戸の錠前は全部残っている。  図5は,内引き戸の鍵を内側からみたところ。図6はその一枚を外したところ,図7は二枚とも外してアルミ板の穴が露出しているところ。 3. 鍵が壊れた原因がわかった  いまだ紹介していないが新しい錠前をアマゾンで買って設置してみた。そうすると,外引き戸と内引き戸にそれぞれ錠前を設置したが,鍵穴がずれている。内側の表示窓から外側の位置合わせ穴を覗くと,外側の位置合わせ穴がより下がっている。なんとか一部が見える。アマゾンから購入した製品は半世紀前のものと全く同じなので,原因は錠前にはない。敷居のレールを見ると図8〜10のように,外側のレールが下がっている。つまり,敷居の下の木部が風化してしまっているのである。倉庫への出入りの際,レールの部分を踏んできたのも二次的な原因だろう。 4. アマゾンで購入  アマゾンで物色して,廉価で融通性がありそうな製品(5286円)を購入した。  届いてみると(図11),どうも同じものであることがわかった。図12には3本並べている。右端は残っていた内側の鍵,左のふたつは新たに届いたものである。右二つは内側の錠前であるがそっくり。図13はアマゾンに掲載されている説明書である。送付されてきた文書と同じ。全く同じ製品なので,中段の説明を見るだけで済んだ。 5. 調整  図6と図7は内錠前が入っていたアルミの穴を示している。この穴の内側と外側の下辺を金ヤスリで少しずつ削って,位置合わせ穴の一致具合を見た。  図13中段の,2. 鍵の取付けと調整,の,4)の鍵,およびツマミでの施錠解錠がスムーズなことを確認する,ということであるが,引き戸の周りの枠自体が歪んでいるので簡単ではない。 7. 施錠と解錠の注意点  ピッタリと引き戸を閉めても施錠解錠は当然ながら,できない。ピッタリと閉めたあと,少し指で押さえこんで戻すと,施錠解錠ができる。  施錠の際には,鍵を突っ込んでシリンダーが入るのを確かめて,時計回りだ。解錠は簡単で鍵を突っ込んでシリンダーが入るので,反時計回りだ。  バールで壊す羽目になったのは,外引き戸が下方に落下していたためである。外引き戸を上に持ち上げて,鍵を時計回りに回せるかどうか確認して,反時計回りにすれば,解錠していたものと思われる。  今後も外側はまだ下がるだろう。解錠できない場合,外引き戸を上に上げてみる必要があるかもしれない。それから,敷居は踏んではならないと思うのである。新たな鍵が5本もあってどうしようかと思っている。 おわりに  鍵がなんとかなったので,一時的に本を預かることが可能になった。倉庫右スペースには窓が一切無いので通気が悪く古い紙の臭いが床や建具に染み付いている。とにかく,全資料さらには残りの座布団などを出し切って,埃を被らない程度に掃除して,通気を考えたいと思っている。 以上,2026年3月20日。

大理石テーブルと玄関前踏み石のクリーニング Cleaning a marble table and an entrance stepping stone

はじめに  この正月には年来の気になっていた大理石のシミを重曹で処理した。昨日は玄関前の花崗岩の踏み石の白猫ちゃんの臭い消しをやはり重曹でやってみた。その記録をここに残す。 1. 大理石のシミ取り  図1〜4に作業過程を示す。クリーニングの効率が同じなのか,薄い汚れは見えなくなった。実はこの作業を2回実施したが限界に到達か。 2. 玄関前の踏み石  雨の日はこの踏み石付近は獣臭がある。なんか黒光りしている部分があって気になっていた。直接,目撃したわけではないが,いくつかの事件があって,白猫ちゃんに間違いない。いまも寝ているかもしれないので,忌避対策も必要かもしれない。  図5はクリーニング前。引き戸そばの禿げているように見える場所がかつては黒光りしていた。図6のように重曹を用意して湯を足してペースト状にした。図7では踏み石が濡れているが50度のお湯で石の表面を濡らして,重曹ペーストを図8のように塗った。ほぼ1時間放置してその後,デッキブラシで磨いた。その結果が図9である。写真を見ると緑藻が見えるなあ。タニハを出る時は雨が降っていて,臭いは残っていた,残念ながら。 3. 踏み石よもう一度  Geminiによると, ①お湯で予備洗浄 まずはバケツでお湯を撒き、石の温度を少し上げます。これにより、固まった動物性の脂が緩み、洗剤が浸透しやすくなります。 ②重曹+酸素系漂白剤の湿布 特に黒光りが激しい部分には、以下の方法が有効です。 ③徹底的なブラッシング ラップを剥がし、お湯を足しながらブラシで縦横・円を描くようにこすります。ざらざらした面の場合、一方向だけでなく多方向からこすることで、隙間の汚れが落ちやすくなります。 ④仕上げの熱湯消毒 最後に、多めのお湯(できれば60℃以上)でしっかりと洗い流してください。石の隙間に残った菌を死滅させ、乾燥を早めることで匂いの戻りを防ぎます。 とあるので,Amazonであらたに,重曹NaHCO3と酸素系漂白剤 2Na2CO3・H2O2 を昨晩注文し,本日届いた。明日,持参して再挑戦。 豆知識: > 混ぜて使う際は、40°C〜60°Cのお湯を使うのが最も効果的です。酸素系漂白剤はこの温度域で最も活発に酸素を出し、油分を分解しやすくなります。 以上,2026年3月7日。 おわりに  というか,2026年3月8日玄関で臭いを確認して晴天ながら皆無だったので,作業効果も疑問なので一応,延期することにした。臭いがまた気になるようであれば,トライしたい。薬剤はタニハに保管した。  資料整理に戻ることができて,『瑞霊世を去りて』の原稿作成中に疑問であった母の生年月日が恐れ多くも聖師弥勒下生の日(旧暦大正十二年七月十二日)であることを確認できた。