綾部の秋寂し one day trip to Ayabe’s desolation    

はじめに  愛善荘に恒例の年祭に訪れた。「瑞霊世を去りて聖道漸く滅す」の研究の関連で,小さなタウントリップも実施したので,備忘録としてここに記す。 1. 八年間の教主不在  「瑞霊世を去りて聖道漸く滅す」の論の展開で,出口直美の四代教主が聖師の約束通り実現していたことを,愛善荘の教学主任にあたる方に伝えた。この論の「9. ミロク三会」の部分のコピーも手渡した。その結論の一つである次のAdobe Illustratorの図も別途3枚。 2. 愛善荘  11月の年祭参拝を姉の昇天以来,続けてきた。 3. 月山不二の現行大本本部による蹂躙  昭和45(1970)年10月に発行された聖地案内用の冊子『大本 ー綾部・梅松苑ー』の「月山不二」の部分を次に(誤記などは修正)。「昭和二十一年六月完成。本宮山上の長生殿敷地あとに出口聖師の設計・監督により築造された。大本の至聖所の一つ。頂上には延暦(えんりゃく)二十一年の富士大爆発のさい噴出したとされる霊石を安置し,三つ葉の松が植えられている。 旧七月六日の夕べから七日間,神集祭(七夕祭)が挙行されている。このお祭りの期間中に,天地八百万の神が集われて,一年間の世界の経綸(しぐみ)が定められる。」  聖師は二代様とともに敗戦後,そして保釈後はじめて綾部に帰られて,第二次大本事件で破壊された石材を積み上げて,その上を白砂で覆って,天皇傘下の権力による大弾圧にあっても破壊を辛くも免れた富士の霊石を安置し,そのそばに憑代として三つ葉の松の木を植えられた。この三つ葉の松には後述の奇跡譚がある。なお,月山は築山に対する当て字で,不二は富士山に見立てている。  気象庁の 富士山有史以降の火山活動 に掲載されている表を次に示している。 年代 現象 活動経過・被害状況等 ▲800~02(延暦19~21)年 噴火 800年4月15日噴火、降灰多量、スコリア降下、溶岩流。噴火場所は北東山腹。801年も噴火し、降灰砂礫多量、足柄路は埋没、802年に箱根路が開かれた。(VEI3) 表1 延暦時代の噴火  富士山の霊石というのは図6,7のように丸くて,火山弾としては大きすぎるし外形も不適当である。遠目であるが,河谷の円磨作用を受けているようだ。つまりは溶岩層から河谷に大きな岩が崩落して,その後円磨作用を受けた結果と考えられる。2000年前以降の新しい地質時代の岩石として,かつ,延暦時代の火山活動にかかわる溶岩とすれば,西暦800年春以降の溶岩流に想定される。この岩石の採取地や岩質が明確にならないと延暦時代と限定するには無理がある。とにかく,霊石というからには何らかのご利益があったと考えるのが宗教的には自然であろうかと思う。 何といっても天皇配下官憲による破壊を偶然免れたという点で,開祖元屋敷そばの榎が伐採されずに残って,その前に簡易の祭壇が置かれていることと付合するのである,  綾部の「最高の至聖所」である月山不二山頂の憑代の三つ葉松を三代教主昇天の一年余り後,三代の傘下にあっていまなおその配下によって支配されている現行大本本部によって,事もあろうに,抜根された。『愛善世界』1992年3月号には,「大本神の斎庭を破壊する暴挙」として,現行本部の大黒主的本性がまたも暴露されている。1992年節分祭直後の破壊まもない時期に,大本信徒連合会によって現地調査が実施されており,抜根前後の写真も掲載されている。抜根を証する写真が図6と図7である。霊石周辺の神木は綺麗さっぱりと消失している。 図7のキャプションによれば,憑代のひもろぎ三つ葉松が消えて,五葉松と梅は切り株が残っている,つまり伐採されたようである。 4. 憑代ひもろぎの三つ葉松は生き残っているのか  上記『愛善世界』によれば,伐採を免れたのが,ひもろぎ三つ葉松であり,図8のものだという。この場所がどこか。であるが,この写真と『大本七十年史』下巻の折り込み地図から,図9で三つ葉松の移植場所を特定した。   図9の左図は昭和10年12月で第二次大本事件突発直前のもので,右図は昭和37年12月現在とある。本宮山は両図の上部(南部)に位置しており,昭和10年には長生殿の基礎があり,事件で打ち壊され,昭和37年にはその跡地に月山不二が立地している。前述のように聖師と二代様によって昭和二十一年六月に完成している。    図8の右端には下から上がってくる参道が見え,この参道の左手に三つ葉松があるので,図9右図の「本宮山」の字の山のそばに☆印を置いてみた。 以上,2024年11月11日記。 5. 禁足地を試す  現行本部によって抜根され移植?された三つ葉松は枯れたのではないか。松は他の樹木に比べて圧倒的に中心の主根は地に深く降ろしている。樹齢十年以上に及ぶ松の移植は難しい。移植時には主根を掘り込んだとしても側根を切ったりする。十年後にこのことで枯死する可能性もある。ぼくの体験に基づいている。  次の章に述べるが,種名が気になる。Pinus rigida ではないか。アパラチア山脈の固有種である。この生態を知らないが,奇跡とされてきた事実が,この種の特質かも知れないと思っている。  以上の関心をもって,年祭のあと,本宮山に向かった。かつて父と参拝したのであるが,1回限りだったかも知れない。  次の5枚の写真は禁足地に踏み入れた結果だ。おっさんに妨害された。図a2の後ろの坂を登っている途中に呼び止められた。このおっさんの顔を見たことあるような。このおっさんの努力で通路などが維持されているのであるが,年に1回のお祭りだけと言っていた。おかしい。せっかくの聖地が無駄になっている。ゆたかな信仰生活を支える場を教団が私物化している。なさけない。いくつかおっさんに問いかけた。頭おかしいって。 6. 三つ葉松の種名は  現場に行けなかったので,ご神木の種名はわからない。日本ではアカマツとかクロマツなどとマツを呼んでいるが,多様だ。アカマツ Pinus densiflora 英Japanese Red Pine,は雑種が生じやすく,かなり多様な種である。 タイワンアカマツ(バビショウ) Pinus massoniana 英Masson’s pine, Chinese red pine: 中国南部及び台湾を原産とするマツ。葉はアカマツと同じように二本一組(稀に三本一組)で生じるが、長さが20センチ近くあり、その様子が馬のシッポに似るとして現地では馬尾松(バビショウ)と呼ばれる。マツボックリはアカマツよりも小さい。: 中国南部及び台湾を原産とするマツ。葉はアカマツと同じように二本一組(稀に三本一組)で生じるが、長さが20センチ近くあり、その様子が馬のシッポに似るとして現地では馬尾松(バビショウ)と呼ばれる。マツボックリはアカマツよりも小さい。 Pinus rigida Mill. 英Pitch Pineこの可能性もある。このリンクにアパラチア山脈固有種の生態などの情報が掲載されているが,切り株からひこばえが出るかどうかについての記述はない。 三鈷の松 さんこのまつ: 御影堂の前にあり、空海が入唐留学からの帰途、船上から密教相応の地を占するために所持していた三鈷杵を空中に投げたが、帰朝して登山した折、その三鈷がこの松に懸かっていたと伝える三葉の松である。寛治二年(一〇八八)の「白河上皇高野御幸記」は「影堂前二許丈有一古松、枝条痩堅年歳遐遠、二宿老云、大師有唐朝、占有縁之地、遥擲三鈷、飛彼万里之鯨波、掛此一株之竜鱗、聞此霊異、永人感傷、称為結縁、折枝拾実、無不齎待為帰路之資」と記している。  月見不二の松を献上したのは和歌山の人であり,この三鈷松かも知れないと思ったが,GKZ植物事典にこの記載があり,写真を見ると樹皮が明らかに異なる。Pinus bungeana 英Lacebark pine 白松。京都永観堂,三嶋神社などにもある。写真b1〜b4を次に。 7. 神殿の向きは  図9には参拝者が祭壇に面する方向を紺色の矢印で表している。この逆方向が神殿の面する方向である。 月山不二は南面しており,参拝者は北面することになる。図9の昭和10年の長生殿基礎の場合,神殿が南面する予定だったか北面する予定だったかは分かりにくい。この北隣に配置されている神声碑,教学碑,歌碑が北面しているので,長生殿の神殿も北面しているのではないかと想像していたが,後述する月宮殿が南面しており,同じ思想で設計されていたので,間違いなく,長生殿の神殿も南面する予定だったことがわかるのである。長生殿も月山不二もいずれも祭壇は南面である。 昭和10年の長生殿基礎は南面,五六七殿祭壇はなぜか北面,している。昭和37年のみろく殿の神殿はおよそ北西面している。聖師が築造された月山不二は南面している。昭和10年の五六七殿と昭和37年のみろく殿はいずれも南面していない。 みろく殿は「二代教主によって心血がそそがれ,信徒がひとしく待望していたみろく殿は,ついに昭和二八(一九五三)年四月一六日(旧三月三日)に完成した」(『大本七十年史』下巻, p. 1009)とあるので,二代教主の意向があった可能性はある。天恩郷の万祥殿は少し南に振った東面である。これは純粋に三代教主時代である。戦後のみろく殿と万祥殿の神殿の向きはどうにも理解できない。  図10には,iPhoneナヴィアプリGeographica上で梅松苑と天恩郷の位置を示している。ほぼ,北西ー南東軸上にある。みろく殿からすると天恩郷は南東方向にあり,万祥殿からすると北西方向にある。図9右図のみろく殿で,信徒はほぼ南東方向の神殿に向かう。いまだ図化していないが,万祥殿はすこし北寄りの西方向の神殿に向かう。なんとも方位設定が粗っぽいが,両聖地に拝むとすれば,一応,意味はわかるが,教えの欠如した神殿拝殿設計である。 以上,2024年11月11日記。 8. 本宮山は天恩郷の月宮殿跡地同様,禁足地に当たらない  聖師の時代は,天恩郷万寿山の月宮殿跡地も梅松苑長生殿跡地も禁足地には当たらず,梅松苑については図9に示しているが,建物や石碑が並んでおり,連日,信者が参拝していた。ぼくの体験では万寿山については昭和四十五年ぐらいから下品な結界や石碑が作られて,禁足地になった。聖師の教えを理解できず,それに反発し,三代教主が考えたことであった。 現行大本本部のスタッフは全然,聖師の教えを理解せず,三代の人間的観念にいまだに支配されている。  聖地は,古生代後期〜中世代中期の付加体を構成する太平洋プレートの沈み込み時に付加された岩石で構成されている。父と天恩郷月宮殿跡地を巡拝している時に聞いたことであるが,聖地の底つ磐根は,チャートからなるという。 大本七十年史 > 下巻 > 第五編 > 第一章 宣教の積極化 > 1 現界的活動へ > 大祭後の動き,には,木庭次守の調査結果の一部が記されている。木庭次守の業績は七十年史では排除されたが,無難な部分だけ,採用されている。 引用はじめ ————————————————(前略)月宮殿の敷地は、高熊山辺りからつらなっているチャート(Chert)質の岩磐で、天恩郷のなかでもっとも高く盛りあがったところである。その頂点が亀のかたちをしていたから、古くより亀岩とよび、その上に月宮殿が建てられることになったのである。 聖師は、一九二七(昭和二)年の七月九日から、月宮殿建設の高台に「国魂石」を引きあげさせ、自ら作業衣をまとうて一石一石を配置し、月宮殿を中心にした八字型の国魂宝座※がつくられた。まったく昼夜をわかたぬ緊張した作業であって、一三〇〇個の石が四〇日間で積みおかったのである。これについては、『水鏡』の「月宮殿の宝座」の章に、大要つぎのようにのべられている。(中略) すなわち聖師にあっては、高熊山修業以来約三〇年のあいだ、月宮宝座を築造する日が待望されていたのである。月宮殿は、聖師によって霊界において見分されたものを基本としてつくられたところの、わが国建築史上に類例のない建造物であった。その用材は「信真」に相応させて全部石材で、棟は十字形の構造である。屋根の構造や窓・天井などのつくりかたについては、東西文明の合流点てあるイラン、イラク地方の古代建築物を研究し、アジア古代の伝説的絵画を参考にした独得な構想からなるもので、家でもなければまた塔や堂宇でも神道的な神殿でもない。まことに創造的な建物であったといえよう。したがってその構造工作には多大の苦心がはらわれた。使用されたおもな石材は、力石・本小松石ほんこまついし・月の出石・日の出石・更沙石さらさいし・旭石・黄竜石・桜花崗石・曙石・班糲はんれい石・白大理石・蒼竜石・那智黒石・月石などで、それらの石の色によって立体的な色彩をあらわし、合計九〇〇〇個の石材がこれに使用された。なお月宮殿・国魂宝座の周囲は、青・白・黄の石材を粉砕して三色に色別したコンクリート塀でかこみ、正面の入口には欅けやきで門がつくられた。この門を瑞月門とよんでいる。これらの工事は、一九二八(昭和三)年一一月一二日に完了したもので、着手から約一ヵ年の歳月がついやされた。 聖師の歌には、〝霊界の姿をそのまま築きたる月宮殿の崇厳なる哉〟〝久方の天津神国の石宮を地にうつしたる月宮殿哉〟とよまれているが、月宮殿のたたずまいは、天恩郷の高台にそそり立ち一大偉観を呈していた。したがって完成後は、地元はもとより全国から拝観にくるものがおおかった。(後略)———————————————— 引用おわり  産総研の「日本シームレス地図」(20万分の1)では,天恩郷や梅松苑の地質は,前者は中世代ジュラ紀の海成砂岩,後者は古生代ペルム紀の海成層砂岩になっている。いずれもこの南方には古生代ジュラ紀のチャート帯が見えるが,この岩体が天恩郷と梅松苑の蓮の台はすのうてなである月宮殿跡地と長生殿基礎跡地に分布しているのである。木庭次守は,これを蓮の台と言っていた。聖師の言葉であろう。  現在,「長生殿」なるものが本宮山の西麓に建設されている(図11)。この建物にはぼくは違和感があって,一度も訪れていない。木庭次守の批判的な態度に影響されたのであろう。父はタニハの人々の希望で長生殿に一度参拝しているが,その後の父の態度を見てても長生殿に関心がなかったようである。ここでの祭式の様子が現行大本のWebページにみえるが,入ったことがないのでわからないが,図11からしても,神殿は南南西に向き,信徒は東北東に向かうことになる。図11からすると本宮山の蓮の台のほぼ中央に向かっている。  長生殿が本宮山に向かっているのは,聖師の心不在ゆえの結果だ。 大本七十年史 > 下巻 > 第五編 > 第四章 教団の発展と充実 > 2 教団の充実 > 神苑の造営と祭事,から次に引用する。 引用はじめ ———————————————— 一九三五(昭和一〇)年一〇月二七日、鶴山(本宮山)山頂に建設される長生殿の斧始式がとりおこなわれた。長生殿については、八月の主会長本部長合同会議の席上、聖師によってつぎのようにのべられている。「皇道を天下に宣布発揚せんとせば、どうしても大神様の神霊の奉安所を建てて神様に奉る必要が迫つてゐる……それで本年の一〇月二七日の記念日(第一次大本事件により大正一〇年一〇月二七日に本宮山神殿の破壊完了)に斧始式を執行したい。月宮殿は十字の形になつてをる。……乾坤に通じてゐるといふ精神から、皇道の本意を体し今度の長生殿も神様をお祀りするから、十字の神殿にした」。 しかし万祥殿といい、長生殿といい、ともに未完成のままに第二次大本事件をむかえるのである。———————————————— 引用おわり  この引用にあるように,第二次大本事件直前では,長生殿は基礎ができただけだ。そして,「月宮殿は十字の形になつてをる。……乾坤に通じてゐるといふ精神から、皇道の本意を体し今度の長生殿も神様をお祀りするから、十字の神殿にした」とあるから,同様の設計思想に基づいていることがわかる。  『大本七十年史』下巻折り込みの天恩郷の昭和10年の復元図を見ると,月宮殿に向かう入り口は瑞月門がある。その中心軸のほぼ北方向の延長に月宮殿がある。信徒はその月宮殿に拝する。つまり北面するのである。月宮殿は南面しているのである。そして本宮山の長生殿基礎も,月山不二も南面である。  祭壇は何故,南面するのか。信徒が北面して祈るように設計されているのである。祈りは何に向かっているのか。北斗である。北斗七星は街の明かりがなければ,北天の一部が晴れていれば通年ほぼ毎日観察することができ,同時刻に観察すると,北極星を年に1度周回する。この現象は多少注意力があれば,誰でも自ら発見できる。祈りは天の北極に向かうのである。その祈りの場を提供しているのが神殿である。それゆえ,おそらく権力三代教主の設計で,本宮山西麓に建設された長生殿の祭壇が南南西に向いているのは,神殿設計としては出鱈目と断言できる。本宮山の西麓であっても,長生殿は十字形で祭壇は南面すべきなのである。本宮山を御神体とするのは全くの誤謬である。  人は祭壇に向かって神に祈るが,祭壇に向かって拝んではいるが,祭壇は単に神につながる発信そして受信基地なのである。人は手近の祭壇に向かって祈るが,祭壇に祈るのではなく,祭壇を通じて宇宙の神に向かう覚悟が必要である。物理的祭壇にのみ祈っていては,神に通じることはできない。自ら信じる祭壇を通じて宇宙の神に祈る。祭壇を手掛かりにすると,たとえば聖師,開祖,二代,を通じて,独一真神に通じることになるのである。  無神論者はこの基本に思いが及ばない。ちっちゃな聖地に神は居ない。 以上,2024年11月12日。 9. 出口直美追放記念碑  図13はみろく殿で,この写真の左手の神苑入口左手に図12の看板がある。この絵図の左手には,図9右図に,つるやま工房や要荘,として赤マルで囲っており,現存しているが,二代教主(三代の母)と四代教主(三代の長女)の施設故に,消去されている。なんとも情け無いことである。恥ずかしい。図14には,不自然なアカマツの樹形が見える。マツクイムシが猛威を振るった時代の生き残りを残しているのだろうと思う。図13のススキが配されているのはなかなかいいセンスだと思う。これがないとかなり寂しくなる。  図12から外された要荘などに初めて向かった。図15〜17は,つるやま工房と要荘などの一画のみろく殿北側の車道から見た。  図9によると,掬水荘らしい。大本神苑内にありながら,この種の注意書きがあるのは,現行大本本部への警戒に間違いない。  図21〜23は掬水荘の外観である。  図24〜26は掬水荘の北東に隣接する掬水荘別館,図29は要荘など。仄聞するところ,三代教主体制のなか,出口直美を放逐し,このつるやま織工房など全施設の吸収を謀ったが,裁判で四代教主直美側が勝訴したらしい。  図9には,みろく殿の正面手前に,開祖由来のエノキがある。ここには簡易の祭壇があって,父に聞いた記憶があるが説明はなく,ただ拍手して二礼をしていた。図32のように,エノキ独特の葉脈で認定は簡単であった。大木ではあるのだが,ぼくの勤務先のものとほぼ同サイズだ。二度の大本事件でも天皇配下の官憲による伐採を免れている。  父の案内で開祖の元屋敷にも出かけた。このケヤキの裏手にある。図33の石碑の裏手には三代教主によるとされているのだろう。確認しなかった。素直ないい字だと思う。案内板には二棟あるので,図34は金明水の井戸になるのだろう。酷寒の日でも必ず水ごりをされてお筆先執筆に向かわれたと読んだことがある。元伊勢お水のご用 に由来が記されている。「第二次大本事件のときに埋められ、後日、金明水と銀明水の井戸は元のごとく掘りだされた」。元屋敷は大本開教の地である。貧しい開祖の小さな敷地から現在の神苑の拡大をみたのは聖師とその協力者の功績であろう。  図36〜40の石碑は元屋敷に隣接して配置されている。偽四代擁立のために,聖ヨハネ大聖堂での神事が利用された。この石碑こそ,四代直美を放逐した記念碑といえよう。聖師が,直美を開祖の生まれ変わりとして三代に続く四代として,高らかに宣言したのだが,その聖師の約束がその長女によって反故にされたのである。聖ヨハネへのこだわりは,開祖こそメシアとする価値世界を示しているのである。 10. 熊野新宮社参拝  梅松苑から山陰線を渡って,熊野新宮社にたどり着いた。図11の北寄りの「ふしみや」という料理旅館の前にある。なんとなく雑然としている。将来の六代教主の夫,出口孝樹さんが神官をされているということで訪問したが,社務所は閉まっていた。日曜日は休みなのか。図41中の左手に大きな石碑が見える。図43〜45はそれを。 すみこ 一行目:しみせんざんに こ 二行目:しおかけ うしと 三行目:らのこんじんまも 四行目:るとよ。 開祖第五女の出口すみこの歌である。開祖の獅子吼を繰り返し,とよ,と引用している。開祖と熊野神社がどうつながるのか,わからない。  境内拡張記念碑なるものが入って右手にある。聖師の歌の上にタイトルはどうかなあ。お歌を見ると,このお宮の拡張時のものか。日付がない。見えなだけか。七月二十八日の夏祭り(水無月祭り)が歌われているのか。 […]

懸案の床下更新と蜂侵入口の遮断 The pending underfloor renovation and blocking of bee entry points

はじめに  父の生前から東之間の床下の凹みはあった。それで,シロアリ駆除工事をしていたのだが,床下の抜本的な修理はなぜか,できていなかった。シロアリ駆除業者の大工さんは頼んでも無視された。やっと,意を決して,別途,大工さんにお願いすることにした。東の二間の蜂の被害もずっとあって,これには2回,駆除屋さんを頼んだが,相変わらず,蜂などが侵入して,外に出れなくなって,障子に繰り返しぶつかって,障子が再現なく汚れる。 1. 畳を上げて Sat., Sep. 7, 2024  図1の西之間は父の寝室だった。これはほぼ問題ないらしい。中之間は板が切られていないので大工さんが入らなかった。問題の東乃間は図2, 3であるが,これはかなりやられている。話し合って,結局,この部屋だけやることになった。 板は問題ないのだが,現在の仕様に合わなくて,根太,塚,だけでなく,板の全面更新だという。昔の大工さんなら現場に合わせて,鉋削りなどをするが今の大工さんはそんなことはしないということだろう。 黒カビが見えるので,畳も更新するかどうかだなあ。「新らし畳」に連絡するかどうかだ。  担当者にお伝えしなかったが,南面のシロアリ禍の柱と,離れに畳と床の関連を見てもらった方がいいな。  離れの蜂の侵入経路は,母屋からの空気孔と離れの屋根と壁の間の隙間が問題になっている。 以上,2024年9月10日。

小包の送料削減努力 efforts to reduce costs for parcel delivery

はじめに  タニハに関係しては父昇天のち,お供えしたお下がりを関係者に宅配便で送付してきた。片付けが終わって自宅に戻るのが深夜ゆえに,自宅近くでは午前2時まで開いてたファミリーマートから発送した。野菜や果物が多くて,冷蔵便を利用したのであるが,後に得た情報では,ぼくが利用してきたこのファミリーマートは冷蔵庫がなかったようだ。コンビニチェーン内のランクが特別に高い場合は,冷蔵庫が備えられている場合がある。そのファミリーマートの奥さんは凄く感じがよくて,低温の保管場所がある,って言っていたけどもどうもエアコンのある部屋という意味だったようだ。送付先の反応がどうも悪くて,配達車には冷蔵庫がついていても,集配までの保管時間が問題でもあったようだ。もう30年ぐらい前から10年前ぐらいの話である。  今は,数万円余りのお供えをするお祭りは父の昇天の日だけになった。ほとんどの関係者が鬼籍に入っており,生き残りの方々にお送りするのだが,乾物(結構高級な大豆,昆布,干し椎茸)に限定している。送料は1300円程度で送ってきたが,年金生活者には送料もキツくなってきた。 以上,2024/08/20。 1. 郵便局限定のゆうパック  クロネコとゆうパックが,利用するには便利かなあ,と思っていた。ぼくの行動範囲だと,郵便局利用の方がいいかとは思う。自宅周辺には,「最寄り」郵便局が類似の2km前後にある。タニハに有料道路を使って車で行く途中の東ときわ台が実は最寄りだ。阪急オアシスで昼食などを購入して,徒歩で郵便局に向かう,これがぼくにとっては最も利便性が高い。自宅からすると,クロネコの配送センターが郵便局よりも近いがここは駐車しにくくて,余り行きたくない。  今回,乾物を送付するのに,ゆうパックを利用できた。パックする箱を,縦+横+厚み=実寸サイズ < 60 cm,にすれば最低額?で送付できる。ゆうパックの利用は,スマートフォンのアプリで実行することになる。  なお,レターパックも考えたが,この時は自宅に相当数買い置きしているレターパックライト370をみていたので,使えないと判断した。  郵便局アプリぼくの場合はiPhone用。これをiPhoneに,iPhone用アプリのQRコードから,ダウンロードして,開いて,このアプリのなかにさらに,追加的アプリのリンクがあるので,さらにインストールする必要がある。その詳細は省略する。ゆうID,のmailアドレスとパスワード,もちろん,さらに個人情報などの入力が必要だ。 クレジット決済をする場合はクレジットカードの登録も必要だ。ぼくはこの場合は郵便貯金情報が必要かと思ったがクレジットカードだった。驚きだ。直接,ゆうちょ銀行の自分の口座から振り込む方が郵便局にとって,メリットが高いと思われるのだが, 自宅でiPhone内の「連絡先」アプリで送付先を表示しつつ,郵便局アプリに送付先を入力して,登録してゆけば良い。  それで,郵便局決済のものとクレジット決済のものを作成して,東ときわ台の郵便局から送付した。郵便局には「ゆうプリタッチ」という読み取り装置にかざすと,送り状を印刷できる。それを窓口に持参するのである。 住所区域が同じ場合,「郵便局アプリ」利用(-120円)で,870円。「郵便局アプリ」利用(-120円)と「スマホ割」利用(-60円)で,810円であった。  これまで,回りの適当な段ボール箱を使っていたので,1100円,1300円ぐらいのことも普通だったので,かなりの節約ではあった。 2. 最も廉価なレターパック利用 郵便局のレターパック の情報を見て,びっくり。図2のように,厚さは関係無い。ポスト投函はできないので,郵便局に行くことになるが。これだと520円だから圧倒的に安いし,自ら箱を用意する必要もない。次回は,レターパックプラスだなあ。知る知らないで大きく違うんだ。 以上,2024/08/20。

夏祭りの前に prep for the 2024 summer fest

はじめに  また,父の昇天の日が迫ってきた。ぼくも父の昇の際の年齢に迫ってきた。水道の閉栓を亀岡市の水道局に連絡。8月12日閉栓,15日開栓だ。とにかく,昨日はファイナルサイトから始めた。まずは周辺からと考えると進めない。 フィリピン海プレートとユーラシアプレートの間の歪みによる地震活動が数日前に日向灘ではじまり,昨日は伊豆半島の東側の1923年関東地震の震央付近で地震があった。2011年東日本大震災をもたらした巨大地震が引き金になっている。もう地震間隔からすると一世紀近く遅れている東京湾北部地震が心配だ。地震予知は現在の科学ではできない。単に地震履歴だけで単純に「予想」する。 このタニハでの作業をいつまで続けることができるか少し心配になってきた。地震のためではなく,年齢のためだが。 1. 神棚  図1,2のようにまずは神棚の掃除から。 2. 長机にお供えの準備  図3のように,東之間の掃除をして長机を並べて,三宝を配置した。図4のように,手前は祓戸主とお玉串入れを配置,中央の6皿は三神と産土さん,最奥6皿が父などのお供え。 3. 神饌準備コーナー  このコーナーには断水に備えて水タンクに給水した。上掛けしていたタオルは洗濯のために自宅へ。 4. 神棚の照明  図8, 9の蛍光灯の更新は2020年,2021年か。新たな照明器具に更新した。図10は初代のもので利用頻度が低いためだったであろうが,遂にダメになったか。蛍光灯を替えても点灯しない。グローランプは欠品。ケーズ電気で買って明日,持参する。 コイズミ LED流し元灯 直付・壁付両用型 昼白色 BB16721PB Amazonに2024/08/10注文した。明後日Aug. 12, 2024,到着予定。Amazonで,3300円。もう蛍光灯は照明器具としては無くなっている。メーカーがコイズミなので,何とか純中国製ではない。火災の可能性があるので,まあ,純中国製は避けた方がいいと思っているが,さて。横幅が現在のものは33cm+だが,この製品は48cmにであるが,これは仕方がない。設置は可能だと思う。電気工事要だが,まあ,問題ない。すでに図8, 9はぼくが交換した。雜い。 5. 奥田って?  図12のメモを神殿に残しているので意味があるのだろう。誰が言ったのか,年次がない。図12の資料のそばに図13, 14のはがきがあるので,奥田のフルネームがわかる。この事件の年次は平成3 (1991) 年とわかる。父のこのメモは風化するので,ここに掲載しておく。 6. タニハ開所式  図15の,開祖,聖師,二代教主への往復はがきに書かれた招待状があった。二時期あるようだ。切手代金が40円の時期と41円の時期である。最初の方が,日本博物館協会第3代会長の徳川宗敬さんや上野恩賜動物園の初代園長古賀忠道さんが出席された開所式のものだろう。 図16, 17が何故残してあるのか,ぼくは理解できない。 7. 短冊とご神体  図18は聖師昇天の後,父は二代教主のお側にいて,二代教主の教団に関してのお考えをお聞きしている。それは昨冬に発見して,ぼくは自宅に持ち帰った。かなりの文字数で解読も難しく,数ヶ月かかるかも知れない。 発表の時期ではないと父は考えてのことだろう,生前は発表しなかった。父が昇天して三十年,発表しても問題無いだろうと思っている。他の仕事もあるが,早くまとめたいと思っている。図19はきわめて素直で達筆なので,三代教主筆のご神体かと思われる? 8. 聖師拇印入りの短冊  かなり風化している。図20の短冊は左端のものを除いて,切断されている。どこから父が取得したものかは,わからない。左端の封筒には聖師の拇印あり,というようなメモがある。それぞれの短冊の断片の裏にはすべて,聖師の拇印がある。聖師の拇印の特徴である,中心に小さな穴が見られる。 9. いづとみづから出版  父は戦後,精力的にガリ刷り,邦文タイプ印刷の,マニュスクリプトを作成している。熱心な信者さんには配付していたようである。そのうちの2册を,いづとみづ舎が出版している。六十年代末以来の大本本部のように父の名前を削除してではなく,「木庭次守編と編集メモ」が削除されずに出版されたのである。さらに,次のものを手渡したので,この2册とともに収納されているのであろう。父は嬉しかったに違い無い。 そのマニュスクリプトも表紙(図23)とあとがき(図24)を次に示す。ぼくの経験からすると,ぼくが現在作成中の原稿と関係がある(父が教えている)のだろうから,自宅に持ち帰った。タニハに来るたびに必要な資料が示される。 10. 日本タニハ文化研究所之印  本サイトに記しているが八月一日のWordPressの会合に出るべく,ぼくの名刺をラクスルに注文してその三日後ぐらいに届いた。極めて廉価でよく出来ている。それで数日前にタニハの蔵書印をラクスルに注文することを思いついた。デザインを考えていて,タニハ碑の徳川宗敬(日本博物館協会会長,伊勢神宮大宮司)の揮毫でもiPhoneで撮影しようかと思って,昨日,タニハに出かけた。 ところが,神棚から図25が出て来て,図26のタニハ印を使えば良いということになった。これも父がぼくに伝えたようである。そういえば,この印は見たことがある。ツゲ材だったような。どこにあるかわからない。今朝確認したが,父の最後に持っていたカバンにも無い。木庭の印はカバンに中にあった。 白舟篆書(はくしゅうてんしょ)の詳細・ダウンロード | 白舟書体ならJ-Font.comこのサイトでは,日常的な文字を,篆書表示してくれる。ありがたい。「之」が図26と図27で異なる。わからないが,図27を採用したいと思っている。白舟篆書(はくしゅうてんしょ)の詳細・ダウンロード | 白舟書体ならJ-Font.comこのサイトでは,日常的な文字を,篆書表示してくれる。ありがたい。「之」が図26と図27で異なる。わからないが,図27を採用したいと思っている。図28にはフルに。  聖師は明治4 (1871)年旧7月21日誕生である。父は正しく平成三年旧七月十二日(聖師生誕)に記しているのである。 以上,2024/08/10。(タニハでの作業は2024/08/09) 11. 開祖,聖師,二代  図29には開祖の遺影が。当初,ぼくには金属に印刷されているように見えたが,ガラス地の乾板写真である。1884年にオーストリアの化学者 Josef Maria Ederによって改良された乾板写真である。ふと考えて見ると,プリントではないので,この写真はオリジナルである。つまり,開祖がカメラのレンズを透してこのガラス版に直接写っているものである。かなりの時間(数分?)を要しての撮影であったと思われる。 図30には二代様から父が手ずから頂いた聖師存命中に飲み残された煙草。図31には父が二代様から頂いた拇印。女性らしい拇印だが,拇印中には右手に見える模様が見える。 12. 楽焼破片,フィルム,天皇から返事  図32はおそらく高熊山で拾った楽焼破片ではないか。父と高熊山の参拝をした際に巌窟前の棚上で父がここから耀盌破片が出ると言っていた記憶がある。本人が拾ったか質問したような気がするがその回答は無かったような? この破片には聖師の指押し跡がハッキリと残っている。図33はフィルムである。カビはない。図34は昭和天皇がオオミズナギドリの研究者であり,その研究を地元の高校だったかの教師が研究をされていて,その結果をタニハから出版し,その書籍を昭和天皇に献上。天皇の手に渡ったことが記されている。 13. 神殿とその周辺の掃除完了  父の神棚コーナーのLED照明器具が,本日2024/08/12午前中,Amazonから届いて,開封して準備完了した。一昨晩注文したものである。早ーい。神饌コーナーから回収した六本のタオルの洗濯も完了しているので,明日持参だ。 以上,2024/08/12記。2024/08/11実施。 14. 父コーナーLED照明設置  図11のLED照明と交換した。これだけの工事で,2024/08/13をほとんど費やした。  図41の図面のストリップゲージ strip gaugeの意味が昨日の作業中はわからなかった。いま,ネットで調べたら,屋内の配線の電線の樹脂被覆の剥く長さのことらしい。図42の赤白の電線が接続されている白い直方体の部品があるが,この部品の上縁に ← 12mm -,と表示されていて,この長さが12mmということらしい。屋内からの配線の先の樹脂を12m長に剥く必要があって,図43に見えるメジャーで計測した。メジャーが安定しないので結構,長さを計るのは難しかった。この図42の,← 12mm -,を使えば,便利だろう。  すでにこれが設置されていて,屋内配線を抜く時に,図41の説明のように,図42の左から右を見た時に,ハの字になっているスリットに幅6mmのドライバー(図43にメジャーでドライバーの幅6mmを確認している)を刺すと,ケーブルが抜けやすくなるというのだ。 ところがハの字のスリットにドライバーを差し込んでも,屋内配線からの電線が入らない。これで1時間半ぐらい格闘していたのである。図42にスリットの奥の光った銅部品が見えるが,図43に見えるこの直方体の側面の穴から,爪楊枝を差し込むと,この銅部品が少し奥に入ることを確認したりしていたのである。  ところがである。新たに屋内配線からの電線を押し込む必要は無かったようなのだ。押し込んでも,このスリットの銅は動かないのだ。屋内配線からの電線は銅の固い1本のしっかりしたもので,天井裏からの伸びている屋内配線は固くて,この言わばバネ効果で形としてはスカスカの穴に電線を「固定」できるのである。不安ではあるが,である。そして,図40に見える電線の黒を上方,白を下方,に配置したが,点灯しない。そこで入れ替えると成功したのである。  図47, 48は左手(父)のコーナーが点灯している様子であるが,何と図49にはスウィッチが二つあった。下の方が,左手のコーナー用で,このスウィッチをOFFにしていたために,蛍光灯が点灯しなかったらしいのである。大きな額の後のスウィッチを手探りでON,OFFしていたので,右手のコーナーだけONにしていたようなのである。年一回もこの左手のコーナーは点灯しないので(ロウソクでちょうどいいのだ),忘れていたのである。まあ,前のはシェードが壊れて無かったので,更新されて良かった? 以上,2024/08/15 (工事は昨日)

玄関引き戸とその敷居の補修 repairment of sliding doors and their rails of lounges

はじめに  父の昇天の後,タニハの玄関鍵の開け閉めには苦労してきたが,この春の退職まで,向き合うことは無かった。正面玄関,通用玄関,そして玄関脇倉庫口はいずれも,同じ引戸と花崗岩の敷居になっていて,類似の問題を抱えている。 上の写真1は今年2020年10月初旬のものである。草刈をまだしていないが,屋根の補修や聚楽壁などの修復は終わっている。右の写真は正面玄関で,この右手に倉庫がある。  まずは,取っ組み易い通用玄関の上棧削りから始める。戸車の型を調べて問題があれば,更新する必要がある。倉庫口も同様の対処が必要となる。正面玄関はレールの交換だけでなく,花崗岩と真鍮レールの穴開けなどの作業が続く筈である。  以上,Dec. 17, 2020記 1. 通用玄関にチャレンジ  この場が最も簡単で,ここで,戸車と真鍮レールのチェックをして,工事計画を立てたいと思い,帰りのアイスバーンが回避できるであろう本日,Dec. 18, 2020にタニハに向かった。Googleでは,通い慣れたルートと違うルートを指示するので,アイスバーン回避のために,このルートを検証した。ワインドと急坂に関して,今回のルートの方がいいことがわかった。所用時間は変わらない。  ちょっとギシギシと鳴った。肩と頂部をそれぞれ5mm下げた方がいいようだ。東寄りだと適当だが。簡単に掃除したつもりだが,かなり積年のほこりは溜まっている。  外して,上棧の削り込みを何とか本日完了した。    戸車は動かないということは無いが,この際,全部交換したい。2x2x3=12個必要だ。戸車固定用の釘は写真9のように,木ねじではなかった。  右の写真9の右下の小さな釘は真鍮レールに刺さっていたもので,この下部は花崗岩の方に残った。  この様子を見た時に事態が飲み込めなかった。iPhoneの写真を見て,理解できた。花崗岩に穴を開けようとしたが,不定形に割れている。そして,セメントを埋めて,それに木の円柱杭を押し込んだようだ。そして,真鍮レールに穴を開けて,木杭に打ち込んでいる。だから,耐久性が無くて,抜けてしまったのだ。ひどい工事だ。  で,ぼくはどうするか。 以上,Dec. 18, 2020。 2. まずは戸車とその釘について  45年前に父が建てた家なのだが,装着されていたものにほぼ該当するものをネット上で確認した。これはヨコヅナ製の「RJC鋳物枠ローラー戸車の袖平型」という。ローラーは鉄製なので,結構錆びてはいるが問題なく回転している。始めてチェックしたし,今後はもう年齢的にぼくが実施することは考えられないので,交換するのが妥当と思っている。  交換する上で注意すべきなのは,ねじ穴の位置,戸車を入れ込むように削り込まれた穴の形,戸車を交換した際の鴨居の溝から敷居の真鍮レールのトップまでの距離(図11のM+(E-I))がほぼ一致している必要がある。ネット上に出ている袖平型とされる図面は,ぼくが見た販売サイトはいずれも過って袖丸型が掲載されているので,修正して図11を用意した。   図面では,赤線でローラーの丸型を平型に修正している。図中に,M+(E-I),の該当場所を寸法線などで記している。タニハの既存のものは,M+(E-I)=5+(5-2)=8mmである。  図12の情報から,RCJ-0363は,M+(E-I)=5+(8-3)=10mmであり,この戸車に交換することで,引戸が2mmだけ高くなるので,上棧を削る深さを考慮する必要がある。A長も,76-72=4mmだけ長いので,既存の支持溝長を2mmずつ伸ばす必要がある。ローラーを入れ込むポケットの幅は,A-2L=76-2×15=46mm長で,F-M=30-5=25mm深であるが,タニハの引戸に掘られたポケットは既存の戸車のA-2Lが45mmであり,RCJ-0363の厚さGは16mmで既存戸車14mmより大きいが,たぶん,新たに削ることなく,このRCJ-0363をセット出来るはずである。  タケダネットでは319円/個だが,送料情報が注文時点では得られないのでかなり不安ではある。この関係の送料は本体価格よりも高くなる可能性がかなり高いのである。https://www.ks-takeda.biz/item/akawaku_roller_hira30/  この戸車を留める釘は,タニハでは木ねじではなく,ネジ溝無しの真っ直ぐの釘であった。頭の直径4mm,釘部の直径1.8mm,およそ25mmであった。このRCJ-0363のφKは3.2mmあるので,固定のためには,タニハのもともとの1.8mmよりも太い釘を選ぶのが適当であろう。  形やサイズからすると,より耐久性の高い戸車の選択肢,ヨコヅナBTSベアリング入真鍮戸車袖平型ステンレス枠,のBTS-0363もある。ただ,タケダネットで1920円(個,税抜き)である。  図13でBTS-0363について見ると,M+(E-I)=5+(5-2)=8mmとなり,タニハの現在の戸車と同じ値を示している。ただ,A長は76-72=4mmだけ,B長も64-60=4mm長い。B長については二つの釘穴はそれぞれ2mm外側にズレるにすぎない。ローラーを入れ込むポケットの幅は,A-2L=76-2×14=48mm長で,F-M=32-5=27mm深であるが,タニハの引戸に掘られたポケットは既存の戸車のA-2Lが45mmであり,BTS-0363の厚さGは14mmで既存戸車と一致しており,たぶん,新たに削ることなく,このBTS-0363をセット出来るはずである。 このBTS-0363については,使用品度の高い正面玄関と玄関横倉庫のそれぞれ日常的に利用する2枚の引戸だけに適用することも可能かと思っている。以上,Dec. 19, 2020記  今日,コーナンプロで,安い方の,RCJ-0363,を12個入を注文してしまった。まあ,いいわ。釘については自宅の道具箱から3種類の釘をより分けた。使ってみないと解らない。 Dec. 20, 2020記 3. 真鍮レール周辺の準備  写真10に見られるように,真鍮レールには釘がセットされていた。この通用玄関では比較的レール移動が無いように思われたが,2本それぞれで1個所ぐらいしか,固定されていない。風化の結果である。写真10の木杭のように見えるのが実際木製なのかをドライバーなどを突っ込んでみて確かめる必要はあろうが,まあ間違いないだろう。  左の写真では,敷居の水洗い直後であるが,釘を抜いて,真鍮レールの上に載せている。この真鍮製の釘はφ1.8mmで,長さは10mm,これは折れてしまっているので,元々より長いものである。  真鍮レールの断面は8mm正方形で,長さは177.5cm長である。釘穴は5ヶ所。   真鍮レールはモノタロウから,(8×8)x1820 (mm) 販売価格(税込)¥3,179で,販売されている。製造元は,水上MIZUKAMである。送料不明。 https://www.monotaro.com/g/03986365/ これに対応する釘は,SPフロア釘というもので,品番15 (1.8) x 38で,600本入りが税別で399円である。スチールであることが多少心配。 https://www.monotaro.com/g/00866611/   次の図17はモノタロウで本日,Dec. 21, 2020, 購入した。なんと長尺なのに,送料無料だった。コーナンプロで見積もりして頂いたが,モノタロウから比べるとかなり高い。取り寄せ送料も請求された。モノタロウは3500円以上だと送料が無料になる。ありがたい。戸車は結局,高級な方は諦めた。  注文当日にもう発送されたらしい。戸車の方。Dec. 21, 2020記 4. 真鍮角レール固定のための工具とパテなど  真鍮角レールの固定に関連しては,コーナンプロの店長のアドバイスを踏まえて,工具やパテなどを購入した。旧式のようではあるが廉価な振動ドリルを購入した。コンクリート,金属,木材に対応したドリルである。機能などを説明書を見て確認する必要がある。  次の図19のドリルビットdrill bitもコーナンで一緒に購入したが,振動ドリルと合うのかどうか,確認する必要がある。下のビットの説明も確認する必要がある。左の木工用ドリルセットのケースは開けることができない。コーナンプロの技術職の方も開けることができなかった。この方はすでに同じ製品のケースを壊して開けていた。再挑戦だったが駄目だったのである。   真鍮レール再設置のための,パテなどは,次のものである。 追加 Dec. 24, 2020 コーナンプロで上記の振動ドリルの説明を受けた昨日,追加購入。図21左の赤い頭のものは角錐万能ピック 288円,図の中央のものは振動専用ビットで「ノンストップ型 ミカゲ石,石材用」488円。この写真にはないが,1mのアルミ板360円を購入した。墨入れ用である。スケール付きだとこの10倍はする。万能ピックは,ポンチの代わりにもなり,次の作業の際に,釘位置決めの際にも使えると思う。図21の右のものであるが,別途,電気ドリル使用時の目の保護のために,手持ちの保護めがね,理研オプティック製保護めがね(ゴーグル型)M10C-HF,を用意している。 5. 通用玄関の今後の手順  真鍮角レールの更新は,正面玄関のレールが踏み散らかして曲げてしまった1本だけである。さし当たり,通用玄関については戸車が到着すれば,数時間内に工事が可能の筈である。真鍮角レールを如何に固定するか。これが最大の問題である。木杭が腐っていない場合の工事は簡単だ(追加Dec. 24, 2020: Dec. 22に確認した。固くて問題無いようである)。通用玄関については,次の手順になると思う。  乾かしている間に,引戸の戸車の交換を実施すること。 以上,Dec. 21, 2020記,Dec. 24追記 6. 通用玄関を実際にやってみたら  正月三日,お天気が比較的よくて,寒さに戦きつつ,タニハに出かけた。で,想定外があった。レールが簡単で,戸車交換が大変だった。  通用玄関レールで辛うじて残った釘付近をペンチで引き抜くと,簡単にレールは花崗岩から離れた。その残った釘を側面から見たのが図22である。折れ尺の10mmから25mmに渡っているので釘の長さは15mm長ということになる。用意していたフロア釘は38mm長なので,余りに短い。実際に,金槌で打ち込んでみると入らず,曲がってしまう。  そこで,図24のように38mm長の釘を先から15mm長にすべくペンチで切り取った。図24に見える樹脂製の頭をもった槌でペンチの頭を叩いて,押し切ったのである。そして,打ち込んだのが図23の釘でレール頂面レベルに入り込んだ。この釘は既存の釘穴を避けて木杭に打ち込んだ。つまりは,長く考えてきた振動(電気)ドリル,ビットを全く使う必要がなかった。ボンドも不要だった。ペンチを使えば簡単にレールは外れるであろうが,通常の使用環境ではしっかりしたものである(図25)。また不具合が生じることがあれば,何らかの改善が必要ではあろうが。  さて,戸車の交換である。  図26のように,新戸車はエプロン部分が入らない。図27のように旧戸車は完全に入っている。図27では戸車の上の部分が赤く覗いているが板の削り込みと視角のためである。    図28,図29のように,新戸車は旧戸車に比べて,より厚く,エプロンもより高い。  それゆえ,引戸の戸車設置用の穴は,より幅を大きく,戸車の釘付け面もより深く彫り込む必要がある。  戸車の旧戸車用の設置穴を計測して,幅と彫り込み深を正しく求める必要がある。釘は既存のものより長くて太いものを考えていたが,金槌が狭い溝には入らないので,従来のサイズを踏襲した方がよさそうである。なお,この造作はノミだけでは困難で,折角購入したドリルを使いたいと考えている。  ただ,前述「図12の情報から,RCJ-0363は,M+(E-I)=5+(8-3)=10mmであり,この戸車に交換することで,引戸が2mmだけ高くなるので,上棧を削る深さを考慮する必要がある。A長も,76-72=4mmだけ長いので,既存の支持溝長を2mmずつ伸ばす必要がある。ローラーを入れ込むポケットの幅は,A-2L=76-2×15=46mm長で,F-M=30-5=25mm深であるが,タニハの引戸に掘られたポケットは既存の戸車のA-2Lが45mmであり,RCJ-0363の厚さGは16mmで既存戸車14mmより大きいが,たぶん,新たに削ることなく,このRCJ-0363をセット出来るはずである。」が関わるので,まずは釘付け部分の削り込みは,待った方がいいかも知れない。 以上,0: 14AM, Jan. 4, 2021 7. 続 通用玄関を実際にやってみたら  昨日に続き,天候の関係から,本日,Jan. 4, 2020,も出かけた。そして,1枚の引戸を無事仕上げることができた。その経過を明日,書き込みたい。さしあたり,図30を掲載する。  図30(図11が下敷き)の黒色の線と文字は,新規の戸車の寸法図である。オレンジの実線は下棧底,破線は旧戸車収納のために彫り込まれていた空隙に当たっている。緑色は,問題となるところで,一つはエプロンの飛び出し,もう一つは小さい戸車収納空隙を示している。 Jan. 4, 2020記  新たな戸車設置経験をまずはまとめたい。  まずは,新戸車自体を空隙に入れることができなかった。図30でオレンジ色の破線で示した戸車収納空隙の長さが足りない。新戸車は,A-2L=46mmが必要である。ところが旧戸車が小さいので空隙も小さかった。そこで,図32ではその作業が終わった後であるが,見えないが,新しい戸車を填め込むために,ノミと木槌を使って,A-2L=46mmより多少長くした。そのようにして,図31のように新戸車が一応,入り込んだのである。 […]

伐採木の撤去: チェーンソー始動 removal of cut trees using a chain saw

はじめに  タニハの南庭は数年放置したこともあって,密林と化した。タニハのジャングルと呼ぼう。退職後すぐの春の連休2020年5月3〜5日,林野庁の野田君が来てくれてサクラの大木を伐ってくれた。伐り取った個々の幹長の運搬には余りに長く,寸断してくれるように頼んだが,それでも,かなり大きかった。その時もまだ長いと思ったけど,どうにもそれ以上お願いできない。転がしておけば草も生えないと彼は言ったけど,その後ツル性植物やシュロなども生えて密林はさらに増殖していった。  密林の入り口にあるので,気持ちも何となく落ち込んで,密林に一切触れなくなった。タニハ東の当方の空き地に,隣接地のつみびとが沢山の巨礫をまき散らした空き地に投げるべく,作業を始めた。運搬でも腰をやられるし,放擲力が無いために,コロコロと隣地との間の深い排水溝に落下するしで,刈払機や斧や大きなノコを使って,運搬が難しい幹長の伐採木を裁断しようとしたが結構大変で,チェーンソーを使わなければならないという強迫観念が極に達した。そして遂に昨日エンジンチェーンソーの構造を調べて始動しまずは1本の伐木の一つを裁断して二分することができた。  まだ,不安が残るし,チェーンの刃の目立てなどもメンテが必要で,ここに使用法を整理して示すことにした。なお,このサイトではエンジンチェーンソーについてまずは下記のような一つのブログを書いている。 1 エンジンチェーンソー 田中工業製パワーメイト PMS-290  チェンバーにチェーンが巻きつけてある。チェンバー chamberじゃなくて,チェーンバー chain-barなんだろうなあ。現在の用語では,ガイドバーが主流か。 エンジンをかける際には,図3の背面(図5)にある「サイドケース」を装着して,エンジン始動プロセスを実行するようにという注意が頭に書いてある。サイドケースを装着しなくても,図16-3のように,ボルトの固定ができてしまうので,要注意だ。  この機種のハンドガード(図3)には,チェーンの回転止め機能はない。スロットルレバーのプッシュピンはこの図3の背面にあり,図8に示している。  まずは,ぼくの使用のための情報を列記する。 1 使用燃料は混合燃料(ガソリン25+2サイクル専用オイル1),2 チェーンオイル(潤滑油)はチェーンソー用オイルか,市販のモーターオイルSAE#30(寒冷地はSAE#10)  図7の手袋は,振動防止ではなく,チェーンソーでの歯による怪我の防止用のもの?コーナンプロ今宮で858円税抜き。 3 注意! エンジンチェーンソーは,1回の操作で燃料を使い切る必要がある。しかし,昨日初めて使ったが雨が降ってきたこと,疲れてリスクを感じたことで,中止した。倉庫に戻してチェーンソーオイルを受けるべく,段ボール箱を設置した。図6のように,ほとんど落ちていないので,燃料と潤滑油の液位を確かめる必要性は無いようだ。ただ,何らかの原因で潤滑油がより多く流れ出るかも知れないので一応の確認はすること。 4 ゴーグルと長靴を使用のこと。刈払機であってもサングラスをしてはいるが時々破片が飛び込む。 5 場所移動の際は,エンジンを切ること。6 チェーンソーの左側に立ち,チェーンがチェーンバー(新しい機種をみると,ガイドバーと表現されている)から外れた時でも身体に当たらない位置で操作すること。かならず両手でしっかり持って使用すること。7 キックバック防止: チェーンバー先端で木材を伐る時に反動で跳ね上がること。先端を使わないように。https://www.oregonchain.jp/webpromotion/column/use/safety.php8 運転時間について: 連続運転は10分まで。一日の作業時間は2時間まで。9 チェーンソーの調整や修理は,燃料を抜いてから実施すること。   2 始動 0 チェーンカバーでチェーンバーを包む。このチェーンソーを購入した西田さんが紛失して段ボール紙で作っていたが廃棄した。 使用前にボルトナットが緩んでいないか,破損箇所がないかチェックする。 1 燃料と潤滑油を満タンにして,ストップスウィッチONに。 2 プライミングポンプ priming pump(呼び水)を何度か押して,燃料が見えるリターンパイプFUEL-RETURN PIPEから燃料が通過するのを確認する。3 チョークボタンchoke〔キャブレターへ送る空気の量を減らし、ガソリンの混合割合を高める装置〕を引いて,カーブレーターcarburetor(空気と炭化水素の混合気化器)へのガソリン流入量を増やす。 4 左手で,セフティーレバーをハンドルと共に握り,スロットルレバー throttle leverを引いて,右手人差し指で,プッシュピンpushpin(押しピン)を押す。→ スロットルレバーがロックされる(→エンジン始動の準備)。 図8の右手にチェーンバーがある。図8は,チェーンソーの右側面が表示されている。図5の写真は見にくいが,トップハンドルの右面に黒っぽいボタンが見える。 5 チェーンソー本体をフロントハンドルで押さえ,リコイルスターター recoil starterを斜め上に力強く引く。6 エンジンの初爆音がしたら,チョークボタンを戻して(外気を全開で入れて),再度,リコイルスターターを引く。スターターのハンドルは急に離さず,静かに戻すこと。7 エンジンが始動したらエンジンが爆音を立てる。スロットレバーを少し引き離すと,プッシュピンが外れ,スロットルレバーは低速の位置に戻る。 8 チェーンオイルが正常に排出されているか,確認すること。スロットルレバーを操作して切削速度まで2〜3秒ほどエンジンの回転を上げて,オイルがチェーンの先から出ていることをと確認する。9 2〜3分ほど暖機運転をする。 10 ストップスウィッチをStopにしてエンジンを止めて,チェーンが正しく張っているか確認する。正しい張りとは,バーの下端でチェーンの弛みがないか,チェーンバーの中央付近で確認する。案内歯の先とチェーンバーの縁の隙間が0.5〜1 mmぐらい。図9参照  図9のようにマイナスドライバーでチェーンの張りを調整する場合,ガイドバー取付ボルトを緩めておく必要性がある。完了したら,ガイドバーの先を上げて,2本の取付ボルトを締めること。  なお,チェーンは上面の歯が前側に回転して,下面では後側に動く。通常,下面の歯を使うので,伐採木の方に引っ張られる形になる。 チェーンは張りすぎるとチェーンもチェーンバーも早く傷む。緩すぎるとチェーンが外れて危険である。なお,チェーンは手で滑らかに動かなければならない。木を伐る場合,必ず,フルスロットルにする。 追加 Nov. 16, 2021:  初めて,サイドカバーを外した。チェーンも外して洗浄スプレーで洗ってまた装着した。その際の経験から書き込む。図9ではマイナスドライバーでガイドバーの位置の微調整をしているが,実際は手作業でのガイドバーの押し込み具合で決まる。ちょっとした微調整が図9の操作で多少可能であるが,手での押し込みが重要で,ガイドバーの六角ナットを二回ほど外して,調整した。 11 再起動するが,エンジンが暖まっているので,チョークを使わずにそのまま始動できる。始動しない場合は,チョークを使うことになる。 12 停止する場合は,スロットルレバーを戻して回転が低速になってから,Stopスウィッチを押す。 Hitachi Koki日立エンジンチェーンソーの取扱説明書から3と4を作成した。https://www.hikoki-powertools.jp/manual_view_domestic/pdf/E99001901_CS29ET_810.pdf 3 伐採作業 4 玉切り,枝払い 5 サイドケースを外して掃除(日常的)  チェーンの目立て以前で,道具の使用者として,最低限なことが,これであろう。鋸屑が大量に残って,油まみれになっている(筈)だ。その順序を考えたい。ぼくは一度もサイドケースを開けたことはない。この記述を踏まえて,実施した後に修正したいと思っている。マニュアルでは本機到着後の「ガイドバーとチェーンの装着法」がでているので,逆に説明する。  図13は,サイドケースを取り付けて,ガイドバーの取り付けボルトに順ネジ六角ナットを締め付けている様子であるが,まずは,このネジを付属のレンチで緩めて外す。  図14は,サイドカバーのマフラー側をシリンダーカバーに引っ掛けてから,締め付けボルトにサイドケースを嵌めるという作業を示している。 これを逆にすれば,サイドカバーを外せることになる。このカバーに,鋸屑が入っているのでブラシや雑巾で掃除することになる。  図15はサイドカバーを外したチェーンとその周辺の全貌が見える。チェーンを付けたまま,ガイドバーを外して,ガイドバーのチェーン用の溝を清掃する。さらに,チェーンは下に示す溶剤で洗うことになる。チェーンの清掃というのはそういうことであろう。  図16はサイドカバーとガイドバー+チェーンの装着前である。次のコマで,この付近の掃除について,示す。  これら写真はNov. 16, 2021に実施した際のもの。鋸屑はダイソーの柄付きタワシで取った。スプレー洗浄液も使った。排気部分は全く汚れていない。スプロケット周辺が一番汚れていた。ガイドバー,チェーンを外して,これらも洗った。図16-3はミスで,サイドカバーを着けてから,六角ナットで止めることになる。 6 チェーンオイル孔,ガイドバー,エアクリーナーの清掃  図17,18はマニュアルの「2 点検整備」からのものである。この図中の図ー15に見えるチェンオイル孔は潤滑油の給油孔で,図ー16のガイドバー中の孔からチェーンに潤滑油が供給されるので,この孔もチェーン用の孔も,百円ショップで売っているようなドライバーで掃除できる。  チェーンオイル孔は全然と言って良いほど,汚れていなかった。ガイドバーの溝の掃除は,ダイソーで買ったブラシで十分に取れる。  図18は,マシーン前面のエアクリーナーを示している。中央のネジを10円コインで外して,カバーを外し,クリーナーエレメントを洗浄する必要がある。これは,スプレー洗浄剤で洗って,乾燥させるが,直ぐに乾燥する。  クリーナーカバーの装着は,カバー上部の凸部をエンジンケース側の内側にはめこんでから,取り付けるとあるが,填め込み部が見えないので,この通りすれば良い。下の写真は,Nov. 16に実施した際のもの。フィルターは全然汚れていないようだ。   7 その他  いろいろある。スパークプラグ(NGK BM-6A,チャンピオン CJ8)の電極の検討,自動給油はオイルポンプアジャスター,気化器調整,燃料フィルター,オイルフィルターの掃除などなど。 毎日の点検: 使用前に各部のボルト,ナットなどの緩み,破損箇所がないか,チェック。 毎月の点検: スパークプラグ(どこに?)の掃除,シリンダーの排気口とマフラーの掃除(どう?),エアークリーナーの掃除,シリンダーフィン部(どこ?)やリコイルスターター部に付着した草やゴミの除去。 8 チェーンの目立て 追記 Mar. 6, 2023: タニグチ商会 チェーンソーの目立て方法を詳しく解説します! は,わかりやすい。  チェーンバー=ガイドバーの回りにチェーンが巻かれている。ガイドバーの周囲には溝が掘ってあって,それをレールにしてチェーンを設置する。エンジンの回転が伝わるスプロケットsprocket = chain wheelにチェーンを載せることで,スプロケットの回転がチェーンソーの回転に変換されるようである。  図19〜21から,およそソーチェーンの構造が解ってきた。カッターの刃と同じだ。上刃は進行方向を前方とすると,前方に向かって上刃が左側と右側に付いている。図21の上段の左手の上刃が右側を,右手の上刃が左側を削る。上刃はチェーンの外周の前方に飛び出している。鋸屑は上刃の下側から抜けて行く。図21下段の85゜の意味は,上刃の前方部分が多少前方に向くようになっている。  目立て,によって,この上刃の形を継続してゆくことになる。いわば元の上刃を前面については,水平方向,垂直方向とも同じ形になるようにピールしてゆくことを目立てと言っているのである。   通常のノコギリさえ,目立てができないのに,と億劫になって,ツールに頼らざるを得ない。アマゾンだな。Nov. 13, 2021注文する,これから。それにしても,チェーンソー本体の価格と比べて,この種のメンテ費用は大きいなあ。古いチェーンソーは捨てるのが賢明だなあ。それにしても日本のメーカーの用語はおかしいなあ。で次のサイトを見た。https://bettertoolz.com/what-are-the-primary-parts-of-a-chainsaw-blade/  この図22中の赤い枠にあるように,三種類のcutter toothがある。それぞれにcutterとdepth gauge(後述のように控え柱rakerが良いと思う)が付いている。これらをtie strapで繋いでa chainsaw bladeができている。図22には,blade directionが示されており,このチェーン全体をブレードと言っている。このブレードの内側を構成するバーは a guide barと呼ばれる。a cutter teeth = a cutter + a depth gauge。depth gaugeの高さがcutterに比べて,低くなるほど,材により深く入り込み, コントロールを失って,kickbackを生み出すので,cutter高 – depth_gauge高 = depth = 0.025 […]

屋内整理2024春来 organizing things at Taniha since this middle spring, 2024

はじめに  高専時代の同僚,村山さん来訪の準備,が一つの動機になっている。屋内整理というのは漠然としているが。今日,2024/04/22,もクリーンセンター回りで資料など廃棄した。750円だから,108kgぐらいか。 1. 櫓コタツを片付ける 2024/04/22  やぐらこたつ,って死語かもしれない。さすがにもう使っていないが放置状態で,村山さん来訪に供えて,今日,2024/04/22,片付けることにした。重い腰を上げた。  敷き布団と掛け布団を図2のように片付けたが,掛け布団は食いこぼしをしたので,自宅に運んで来た。近所の自動洗濯機で洗うことにした。冬の着替えなどを自宅に運んだ。洗濯して貰わないと。カメムシの臭いがしたりする。 2. 収納棚に父の新本を入れたが 2024/04/22  図5の山から段ボール5箱を開けて,図4の収納棚3段目に収納してみた。5册x6 + 4册x6 = 54册。とにかくのこの種の新本の山は複数あって,収納棚に入れるとすると,10台ぐらい必要か。焼け石に水だし,現状では放置した方が無難だなあ。屋内の書庫を片付ける際に何とかなるのではと希望的観測をしている。  次は西の屋外倉庫から運んで来たものの整理,トイレ掃除,玄関掃除,が村山さん来訪対策に必要かなあ。 以上,2024/04/22。 3. 表玄関とトイレの掃除 2024/04/29  図6,7には表玄関の様子をstereoで。  久しぶりに玄関掃除を実施した。外回りの起点でもあるので,そのための道具やゴミ箱などを置かざるを得ないが,とにかく,村山さん来訪まではなるべく置かないようにしようと思う。結構,綺麗になった。 トイレ掃除もしたが,図11に見えるように,タイルの間の目地が汚れている。以上,2024/04/30。追加的に床のタワシでの作業を2024/05/02,実施した。結果は図12に。 4. 玄関うちとそとと 2024/05/02  図13のように,玄関の頁岩には靴底跡が目立っていたので,もう一度,その部分だけ濡れ雑巾で拭いた。その結果が図14だけど難しいなあ。飛び石上に雀の糞が白くあってそれだけタワシでちょっと擦ったのだが(図15)。 以上,2024/05/02。 5. 友人来訪 2024/05/11  まずは楽々荘でランチした。初めての迎賓室であった。その後,タニハへ。雑談が過ぎて午後5時前に出発。野間の大ケヤキでフクロウ観察の筈が,三年前から来なくなったという。長男夫婦と一緒に観察したのが最後の年だったということだろう。 図16は,初めて撮影したツーショットだ。視線が下に行き過ぎだ。上から撮影しないといけないということだ。そういえば,子供たちはそうしていた。二人とも歳を取った。 府道四号線で野間の大ケヤキから能勢妙見まで山道を走った。結構,急峻な印象だった。この後,箕面に向かったが,比較的なだらかで眺望もよかった。このあと,箕面グリーンロードを使うことになるが。能勢妙見に到着したが駐車場は閉鎖されていた。誰もいない。 野間の大ケヤキ。カメラを構えていたおっさんの話では,洞が亡くなったのがフクロウが来なくなった原因だと。国の天然記念物、高さ27.37メートル、幹まわり13.01メートル、最大枝張は幅39.3メートル、高さ36.2メートルの巨樹。  有明国立高専の教員時代の仲間との歓談はいい時間であった。感謝。 以上,2024/05/15記。

2023年晩秋以来の草と木との戦い battles against grasses and trees since late autumn 2023

北ヤード東部と玄関の生垣1 Oct. 31, 2023  北東隅のアラカシには,何度か触ってはきたが,今日で完了だ。1時間余りだったか。図1は実施前,図2は完了。  図3〜5。夏の初めに枯れた赤松の枯れ木化が進んで,今日,簡単に切り倒すことができた。  図6のようにアカマツを伐採した。図7,8のように,アカマツがなくなって,コバノミツバツツジが腕を伸ばしてきた。なんか元気が無い。紅葉というより枯れてしまった感じになっている。クロモジは元気だ。道路際から攻めたがヤード側から攻めて刈り取れない部分を道路側から攻めるべきだった。今回はじめて脚立を使ったが,生垣が高すぎるように思う。  図9,10。脚立を使って,伐採した。アラカシがかなり病葉が多い。次回は,ヤード側から刈り込んだ方がいいようだ。 以上,Oct. 31, 2023記。 北ヤード東部と玄関の生垣2 Nov. 2, 2023  門柱域付近の草刈りだけで終わった。図11〜13は,実施前。生垣も実施する予定であったが,草地だけだった。溝縁,門柱周辺,だけだ。あとは以前刈った枯草を集めてすてただけ。次回は生垣だなあ。  図14〜17。草地だけ完了だ。 以上,Nov. 2, 2023記。 北ヤード東部と玄関の生垣3 Nov. 4, 2023  この区画全部できると思ったけど,やり残した。最後の方は蚊に喰われた。蚊取り線香が終了したためであった。まだまだ蚊が居る。新たな成長部が80cmほどになっている。 あと30分ほどで片付くか。次は東通路と家回りだけでも刈らないとなあ。生垣はお預けだな。 以上,Nov. 4, 2023記。 北ヤード東部と玄関の生垣4 Nov. 8, 2023  仕上げの日だ。溝沿いの草もツルハシで剥がした。門柱前の生垣だけだが,完了だ。  図24, 25の玄関前のビワの右の芯には花のようなものができている。ひょっとすると,来年の初夏にはここにビワの実がなるかもしれない。父が古世町北古世宅のビワの実を置いた場所のようだ。30年を超えての実か。 図26〜28。門柱前の生垣だけ,完成だ。門柱2本が外から何とか見えるようになった。 南庭の草刈2 Nov. 8, 2023  何日か前に,とにかく,草払い機で,粗っぽく,家回り裏庭を始めたが,木々などが邪魔してかなり粗っぽい始まりであった。  とにかく,南庭に取りかからないとと,門柱前終了後に,長ノコ,ツルハシ,スティール熊手,椅子,一輪車で始めた。  図29, 30。南天,シュロ,付近から,始めた。記録に残そうと思って,stereo写真。 図31〜33。トイレ南側付近。 図34〜37。途中だけど,次回だな。以前刈ったセイタカアワダチソウなどを熊手やツルハシで除去した。始まったばかりだ。図36, 37には,ススキが見える。北ヤードは,セイバンモロコシ限定だが。 以上,Nov. 8, 2023記。 南庭の草刈3 Nov. 11, 2023  遅々として進まずかな。土曜日なのでまずは草払い機で。その後,熊手とノコで。 図38, 39: 東之間の前あたり。草払い機の結果だったか。 図40, 41: 草払い機で。 図42, 43: トイレ前。草払い機で実施したあと,ノコで整頓中。通路ができそうな。 図44, 45: 南庭の通路確保のために熊手で枯れ草を少しだけ除去。 以上,Nov. 13, 2023記。  次回は,熊手での枯れ草の除去と,ノコによる木の回りの整備,隅っこの草取りかなあ。 南庭の草刈4 Nov. 14, 2023  今日は疲れたなあ。寒いといっても,それほどでもないし。明日は綾部で恒例のお祭りだ。  図46: 玄関のワンハンドホールの周りに比較的平たい石を積み重ねた。バックで車を入れた際に,ホールの蓋が外れて,パイプを割ってしまった。次回は塩ビ用のボンドで補修だ。以前も蓋が外れたが割れなかった。今回は割れてしまった。図のように,石で防備する必要があったのだ。 図47〜49: ツルや木々や草で通路が塞がっている。手作業で進めている。図47にはサクラの根っこだ。おそらく切り倒した大きなサクラの根っこだと思うが。新たなサクラの根っこだと大変だ。 図50〜53: かなり暗かったが撮れているなあ。暗くて怪我をしそうだからやめた。通路の確保をすべく,木々の剪定,ツルの除去などを実施した。次回もこの作業かなあ。 以上,Nov. 14, 2023記。 東通路と南東隅ヤードの草刈 Nov. 20, 2023  いよいよ寒くなってきた前回は初雪を体験。今日はすこし暖かかった。外回りのあとはコタツをしようと思ったがフトンゴミ出しを優先した。明日はクリーンセンターへ。 図54, 55: ずっと気になっていた。一輪車の移動が図の中央の段差部分でうまく行かない。ええ加減に刈った草の残りが脚にあたる。今日はもうこれだけ。腰に来た。 図56, 57: まあ,腰にきつつ,何とかできた。段差部分も綺麗になった。 図58, 59: 南東部屋の南ヤード。フジの根茎が太く,なお,触手を伸ばす。この隅っこの草木が貴重だと思う。締まりがある。隣家の燃料置き場があって,どうにも耐えがたい。 図60, 61, 62: 何とか南東隅を片付けた。 以上,Nov. 20, 2023記。 西ヤード生垣とその周辺 Nov. 23, 2023 図63: お隣さんを気づかって,西ヤード生垣を。自生サザンカの花芽が大量だ。 図64, 65: 西ヤードの生垣だ。伐採前。 図66, 67: 北ヤード西部の三和土境界の草刈り。図67に椅子は昨晩,コーナンで購入。Southern Port コンパクトフィッシングチェア。1400円弱だったか。素晴らしい座り心地だ。腰を丸受けしてくれて,大袈裟に言えばロッキングチェアに坐っているような。これは大成功だった。これまで使ったハイリスクコマ作業椅子は自宅に持ち帰った。捨てる可能性が高い。図68: またシンテッポウユリが咲くのか? 図69, 70: 北ヤード東部の生垣の多少の飛び出しを切った。 図71〜73: 北ヤード西部生垣。図71刈る前。図72と73はstereo。道路への出っ張りを刈った。 図74, 75: 西ヤード生垣北部だけ完了。 図76, 77: 西ヤード生垣南端だけ完了  またフトン小屋から4組の敷き布団を車に積んだ。明日,クリーンセンターに出すことに。 以上,Nov. 23, […]