日本タニハ文化研究所開設を応援された研究者 Researchers who supported the opening of Institute for Taniha Culture Research

はじめに  海外からの訪問者に合わせて急遽作成した。現在,玄関に掲げている三名の研究者を紹介する。ぼくも勉強にはなった。なお,本研究所の英名をタイトルのように変更した。 日本博物館協会関係 徳川宗敬 Tokugawa, Muneyoshi 左の写真: 昭和50(1975)年5月11日、伊勢神宮内宮を見学し、参道を歩いて戻るイギリスのエリザベス女王。左は徳川宗敬大宮司。三重県伊勢神宮。後背には内御厩(うちみまや)がみえる。朝日新聞デジタル Photo 1: On May 11, 1975, Queen Elizabeth of the United Kingdom visited the Inner Shrine of Ise Grand Shrine. On the left, Chief Priest Muneyoshi Tokugawa can be seen.  宗敬は明治30(1897)年、水戸徳川家の12代当主の次男として生まれ、一橋徳川家の養子となった。大正9(1920)年に江戸幕府最後の将軍,徳川慶喜の孫に当たる幹子(もとこ)と結婚した。  東大農学部林学科を卒業した宗敬は同15年、幹子を連れて欧州へ留学する。2人は2年半の洋行で先進国の文化に触れる一方、第一次世界大戦の敗戦国となったドイツやオーストリアでは地位や財産を失った貴族の没落ぶりも目の当たりにした。  第二次世界大戦後、最後の貴族院副議長となった宗敬は、昭和26(1951)年のサンフランシスコ講和会議の全権委員、伊勢神宮大宮司などを務める。全国の植林運動にも尽力し、「緑化の父」とたたえられた。(三浦馨記す)  九十一歳(1989年)昇天。明治30(1897)年5月31日 – 平成元(1989)年5月1日。 url https://www.sankei.com/article/20191101-GDYF35IKYJNRNGUKESCGXVWZGY/  日本博物館協会の目的と沿革には,第二次世界大戦後の最初の会長(昭和21年)となったことが記されている。永く在任した。  Tokugawa Muneyoshi was born in 1897 (Meiji 30) as the second son of the 12th head of the Mito branch of the Tokugawa family, and was later adopted into the Hitotsubashi branch of the Tokugawa clan. In 1920 (Taishō 9), he married Motoko, granddaughter of Tokugawa Yoshinobu, the last shogun of the Edo bakufu.Having graduated from the Department of Forestry in the Faculty of Agriculture […]