工藤恭久さん通夜出席のためカローラツーリングで信州へ going to Shinshu by Corolla Touring to attend Mr. Yasuhisa Kudo’s wake
工藤恭久(やすひさ)さんが先日(around 16:00,Sun., Jun..8, 2025)九十四歳だったか,昇天された(塩津さんから)。タニハ文化研究所の創立に際して,最も貢献された方であった。最後の入院前にはお電話があって,その際に,勉強会へのぼく参加を期待するような雰囲気が醸し出さていたので,その際には松代の皆神山に参拝したいと考えていた。
新幹線か車か迷った。新幹線が無難であるが,皆神山参拝そして調査をゆっくりしたい。信濃毎日新聞デジタルでは,「気象庁が県内を含む関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表した10日、長野地方気象台は、11日夕方にかけて、県南部や県西部の大北地域と乗鞍上高地地域を中心に大雨となる恐れがあるとして・・・」とある(2025年6月14日,検索)。
天候にはおそらく恵まれるとなぜか考えた。そして,愛車カローラツーリングで向かうことにして,ジャランでホテル検索したが結構の数の宿泊施設はあるが,ぼくの許容範囲では上田や松代周辺では空室は見つからない。しかたなく,長野市街地を検索して,「シティガーデンホテル信濃路」をみつけた。一泊としたが,日程上,一泊で帰る自信がなくて,一泊追加した。二泊だ。
6月11日午前10時半,車で出発した。予めアイフォーンのカレンダーの目的地に入力していた通夜の場所のテキストをタップすると,Carplayの画面に連動して,ナビゲーションが始まった。一切,音声案内はなく,いわば,ジャンクション間の距離と侵入路の左右矢印が出るだけだ。10回ほどのジャンクションを経て,疲れ果てて,中央道に入った最初の内津峠(うつつとうげ)PAで休憩した。12時の15分前ほどか。この10分ほど前か,鳥の白い糞がフロントガラスに落下したので,雑巾をトイレで絞ってフロントガラス全体を拭いた。そういえば,自宅の出発の際は小雨が降っていて,ワイパーを使っていたが,この鳥の糞が落下する少し前に雨は止んだようだ。
昼食には早いと思ったが,結局ここの食堂で昼食(キシメン)をとり,出たのが午後1時20分頃(滞在時間は1時間35分ほど)。ここでの休息は不可欠であった。高速を次から次の渡り歩くのに辟易して,カローラ付属のカーナビに変更して発車した。上田市まで,あと1カ所は休憩したいと考えていたが,どうにもその時間はなく,3時間半,運転を続けることになる。
高速の出入り口やSAなどは表示されるのであるが,到着時刻が表示されなくなった。カローラは2020年末に購入して5年間を過ぎるとデボジットが切れて年間1万円の使用料が発生するようだ。アホらしくて新たな契約したくなくて,切れる前に,Carplayを使ってGooglemapに慣れるべく車のカーナビとはおさらばしていた。契約が切れた時点で新たな地図の更新がなくなるだけだと思っていたが,到着時刻表示機能も削除されていた。これでは使えない。VICSは機能しているようには見えるがこれもフェイクだろう。通夜は午後5時からと聞いていたので,到着時刻が表示されないのは何とも情けない。そこで走りながら,カレンダーの通夜会場をタップして,走行ルートを表示した。これには数点の要所の(最短)到着時刻が示されている。しかし,通夜会場到着時刻がどれなのか,何とも見にくい。
焦りに焦って,とにかく,午後5時の10分前ぐらいに通夜会場の駐車場に到着。駐車場のアスファルトは雨に濡れていたが,高い部分の水分は地面に沁み込んでいた。休憩時間込みで6時間20分ぐらいかかった。グーグルの所要時間とほぼ一致している。会場の案内を見ると5時半から開始だった。とにかく,間に合ってよかった。
恭久さんの妹さんにもお会いできた。姉との温かい交流があった。長男さんがおられるのを知らなかった。長女さんとともに,工藤さんとよく似ておられた。喪主は長男さんと三女さんだ。ぼくの母にお世話になったと温かい声掛けもあった。親戚関係の皆さんが中心的に集まっておられて,永く地元に根付いておられるだけあって大勢力だ。父の病で工藤さんのご自宅にぼくは父と共に1カ月滞在していたので,工藤家には感謝でいっぱいであった。工藤さんの奥様には,父も我が家もお世話になったが,残念ながら比較的早く昇天されていたので,もちろんお会いできなかった。お子様などと親しく接することができたことは幸いであった。
大本分裂の少し前から,工藤さんが交友されてきた皆さんともお話しできた。特に皆神山のぼくの疑問をぶつけてみて,驚くべき回答があった。皆神山参拝の意義は高まるばかりであった。会場からホテルに移動して近所のセブンイレブンでお握りと一番搾りを買って,夕食とした。会場では直会があったがぼくは食べることができなかった。おしゃべりに夢中になってしまう。いつものことだ。
翌日,皆神山に愛車カローラツーリングで向かった。自宅から中央道に入って後は幸い雨に遭わなかった。幸いである。皆神山の山頂の高原まで,自動車道がある。危なかっしいところもあるが,幸い,問題はなかった。主として信仰の観点からの投稿は別に用意しつつある。ぼくの滞在中,パワースポットとして惹きつけられた人々も見た。愛車で訪れた四十歳前後の女性三名,退職後の夫婦二組み,それに移動売店を商っている子供連れ女性。
この車道が何とか維持できているのは,皆神神社のみによるものではないようだ。途中,キーウィフルーツの果樹園があった。12日の山上では気づかなかったがゴルフ場になっているようだ。回っている人は見たことがないし,駐車場利用者にはそういう人も見かけなかった。とにかく,コースらしきところがあって,雑草が生えていた。この状態ではゴルフボールを探すのが大変だ。芝生をかつて作ったのだろうけど,ほぼ消失しているようだった。ネットでみると,皆神山ゴルフクラブ【長野県】というのがある。
麓に近い松代地震センター(松代地震観測所)にも出かけた。人っこ一人いない。無人の大きな施設だ。研修施設もあったようであるが廃屋化が進んでいる。この場所の電話番号は公開されてはいるが,東京の電話番号に連絡するようになっていて,その意味も理解した。皆神山の全景を撮りたくて,時刻から考えて南西方面を車で回ったが,一枚がなんとか使える。狭い谷底からの全景写真は難しい。
午後4時前にはホテルに戻って車を置いて,徒歩で善光寺の門前町を歩いてみたいと考えたが結局,善光寺に行き着けなかった。刈萱聖人ゆかりのお寺の前を通り過ぎて,娘が持っていた石童丸の絵本を思い出し,参拝して,写真も撮った。これについても投稿を予定している。午後5時頃か,早い夕食を丸新という日本のどこにでもありそうな蕎麦屋(温かいとろろそば)でとった。創業100年という。大正と昭和の境目ぐらいか。まあ無難な味だった。地元のカフェを探したが適当なところがなく(変に気取ったところもあったが),結局,長野駅ビル1階のまたまたスターバックスで皆神山で撮影した写真を整理した。行きつけの店のチェーン店には,旅行者として期待した意外性は全くないのであるが,残念ながら安心感がある。
翌日,10時前にホテルを出発した。2時間後に休憩をと考えていて,11:50にSA駒ヶ岳(こまがたけ)で休憩した。フードコートにはなじめず,レストランに入って,やっぱり,そばを食った。狭い窓外には遠くに山々が見える。食後,周辺の散策路で木々を観察した。ウラジロモミ,ハルニレ,サワラ,コナラ,アカマツ,ニセアカシア,ヤマザクラなどか。
ここにはコンシェルジュconciergeなる若い女性が居た。帰りの名神のSA桂川にも居たのであるが(いずれも暇そうには見えたが毅然たる態度を示し得ていた,精神性を維持するのは大変だ,形を変えるべきだと思う)。さて,このSA駒ヶ岳の名(ぼくが休憩場所として選んだ理由)ゆえに,どこに見えるのかと聞いたら,ここからはかなり見えにくいという。カラー出力の写真を,中央アルプスと南アルプスの2枚を頂戴した。なるほど駒ヶ岳はほぼ見えない。レストランでそばを食っている際に,10年ほど前にはすでにアイフォーンにインストールしていたPeakfinder(2000円だったか)を思い出した。見ると,六甲山や生駒山などが見えている。自宅周辺の山々である。
右下隅の歯車アイコンを押してみたら,現在地の認識を開始した。この付近の情報をダウンロードするかというのでオーケーしたが,なかなか終わらないが,何とか周辺のピークの名称が見えるようになった。コンシェルジュさんに教えてやろうと窓口に出かけてみせたら,急に見えなくなった。またダウンロードを始めている。一応コンシェルジュさんにこのアプリは世界すべてに対応していることを告げるだけで終わってしまった。その後,見えるようになったが,嫌がられているかもしれず,行かなかった。なお,小さな展望所があって,ここから見える山々の説明があった。
次に休憩したのは15:30で,SA養老である。養老山脈の中にある。この後か,通行一車線で合流もあって,渋滞に巻き込まれるのである。なんとグーグルから,その20分ほど前か,到着時間が40分ほど早くなるルートがあるがそのルートを受け入れますかというメッセージがきた。前日のようにジャンクションを次から次と移動するのが嫌だと考えて,拒否したのであるが,思えば,受け入れた方がよかったのかもしれない。昨日は名神に入ったり出たりしたので,名神一本で行こうとしたのが災いしたのかもしれない。そして渋滞でクタクタになって,18:00にSA桂川に入って,半時間あまりボーっとしていた。眠い。自宅にたどり着いたのは午後7時半。ホテルを立って9時間半であった。
以上,2025年6月14日記,2025年6月15日修正。