亀岡市立図書館と亀岡市文化資料館 Kameoka Municipal Library and Kameoka Municipal Museum of Cultural Materials

はじめに

 徒然にスナップを。

亀岡市立図書館

 もう3回行っただろうか。最初の日10月14日に司書の方から紹介された資料などを次に示す。

 国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できてPDFでもダウンロードしたが,現物を見てみたかった。書庫から出していただいた。とはいえ,臨川書店の復元本である。

図1 南桑田郡誌

図2 南桑田郡誌の折り込み地図 南丹市は入らない,ほぼ亀岡市域か

 同書籍の奥付を次に。

図3 原本の奥付

図4 復元本の奥付

 垣田五百次,坪井忠彦編,1925. 『口丹波口碑集』郷土研究社.

図5 『口丹波口碑集』表紙

図6 『口丹波口碑集』奥付

国立国会図書館デジタルコレクションの情報を次に。

口丹波口碑集 by 垣田五百次,坪井忠彦
炉辺叢書27
https://dl.ndl.go.jp/pid/1904777
『炉辺叢書』27,郷土研究社,東京堂書店,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1904777 (参照 2025-10-14)

なお,デジタルファイルには,並列タイトルとして次のものが含まれている。
筑紫野民譚集 琉球人名考 口丹波口碑集。

 なお,このデジタル本はダウンロードはできず,画面での閲覧が可能であるが,目次から関心をもったテーマを選択して,ログインして初めて読むことができる。

 いま,関心がある分野ではないが,次の文献に偶然出会えた。大国美都雄さんの自伝と,現大本の出版物である。後者はかなりの出版費用がかかっているようだ。

図7 大国美都雄『真偽二道』

図8 同奥付

図9 『報身みろく神業の足跡』第二巻

 以下の書籍の中身を見ないでとにかく司書の方から紹介頂いたものを撮影した。時間切れであった。

図10 「保」と「津」 その歴史からみえるもの

図11 京都府遺跡地図だい3分冊第2版

図12 『京都府誌』上,下

図13 昭和28年度 京都府域の文化資源に関する共同研究会報告書(丹波編)

図14 京都府埋蔵文化財論集 第8集

図15 昭和二十六年水害史

 図16〜18は写真の情報に限定する。時間切れであった。

図16

図17

図18

 2回目の訪問の際に屋上から撮影した。

亀岡盆地が見える。この写真では立体感がないが牛松山の迫力はなかなかのもの。電線はなんとも邪魔邪魔。図番号は上の図と続かない。

図1 牛松山と裾野の隆起扇状地か段丘か

 建物はなかなかの立体感。牛松山の麓の段丘の起伏は残念ながら感じられない。肉眼ではわかるのであるが。

図2 ステレオ左

図3 ステレオ右

 2025年10月23日に,亀岡市文化資料館に出かけた際に,イオンの屋上からの眺めはいいようだ。期待したい。

亀岡市文化資料館

 2025年10月22日,おじゃまして撮影した写真を次に。

 図4は,入り口の景観である。左手奥にには牛松山。建物は案内板後背なのであるが。この橋は雑水川にかかる。資料館はこの川そばにあって,保津川の溢水でかつては床上浸水があった場所である。資料保管場所としては不適切な場所と言えだろう。

図4 入り口

図5 再葬石棺

図6 家型石棺の蓋

 図7の針塚は横町にあった時代の校内で見たことがある。おそらく高校時代に教師の案内で巡った際に見たのであろう。当時の校地は亀岡高校そばの同じ段丘面上にあった。

図7 亀岡市立女子技芸専門学校跡地の案内

図8 道標

図9 道標そばの芙蓉

 図10, 11は亀山城下町の様子だ。地形の起伏が無視されていて,残念なことだ。DEMでモデルを整形出力して,その上に建物などを配置すれば,より良いものになるのであるが。漫画的ジオラマにあたる。歴史や考古のスタッフでは限界がある。図10の後背のテーブルスペースが来館者の学習の場として提供されている。亀岡市立図書館もそうだが,点照明が鬱陶しい。長い蛍光管で面的に照明すれば,作業がやりやすいと思うが。そういう発想が亀岡市では脱落していると感じる。

図10 漫画的ジオラマ

図11 漫画的ジオラマ

 ご紹介いただいた本。日本の古本屋では,最低1200円だったが,アマゾンでは317円(+送料350)なので今,購入した。

図12 丹波・丹後の伝説

図13 奥付

 同じく。1941年出版の本ゆえか,古本はみつからなかった。本資料館で利用するのが適切であろう。

図14 丹波の傳承

図15 奥付

 図15は1200円なので,資料館で購入するのがベターだ。

図15 第36回特別展「光秀その後の亀山」

図16 奥付

 図17の亀山城主の変遷,をご紹介いただいた。図18の保津川筋の図も非常に興味深い。1200円,購入すべきだなあ。

図17 p. 72の部分

図18 p.72の保津川筋の区分

 「丹の海」という用語の出典を質問したら,このコーナーを案内頂いた。照明が邪魔して撮影できない。次回,照明を消してもらって,撮影したい?

図19 「丹の海」の展示

図20 案内板

図21 太古カメオカ

丹の海の再現図である。画家(女性)の名前が画像では読めない。忘れた。次回,見直そう。人の侵入前の時代のものにあたるかどうか。

 図21には黒い傘の照明が点在している。残念! 照明なしで,撮影したいなあ。絵葉書売ってるんじゃないかなあ?

図22 江戸時代の祭の行列の様子(左手)

図23 江戸時代の祭の行列の様子(右手)

 図22, 23を見ると,かつての山鉾巡行は盛んだったんだねえ。ぼくの暮らした横町も持っていたんだねえ。今,思い出したけど,山車(だし)はなかったけど,神輿(みこし)はあったなあ。

民俗祭事調査会編,平成4、1992. 『民俗祭事の伝統 : 丹波・亀岡のまつり』 角川書店, 7+258p.の福知正温先生(中学校で国語を習った)の担当部分,pp. 220-229,もご紹介頂いた。日本の古本屋の小亀屋(篠町馬堀)から¥1,700で販売されていたので注文した。

 

 

図24 『丹波亀山城と城下町』

図25 奥付

図26 紹介頂いた箇所

 この本はローカル過ぎて,流通ルートにはないようだ。日本の古本屋で,ぼくの名前で検索してみると,4冊が出た。かなり古いものだけだ。

日本の水と緑 ¥1,800 木庭元晴・小幡斉他、玄文社、1993、1

霊界物語ガイドブック ¥3,200 (送料:¥350~) 木庭 元晴 (監修), 木庭 次守 (編集)、八幡書店、2010

月刊地球54 琉球弧地史 ¥1,650 イルカぐるうぷ編、海洋出版社、1983/12、763頁、B5判 執筆・氏家宏・橋本義之・三嶋昭二・木庭元晴・藤田宏他

生きている太平洋 <のじぎく文庫> ¥800

 まあ,今も生き残っているのは嬉しい。

以上,2025年10月23日記。




2025年秋の草木刈 Brush Clearing Autumn 2025

はじめに

 急に寒くなった。今年の夏も暑かったなあ。タニハ祭の前を除いて,夏草との格闘は完全休止状態で,タニハからも足が遠のいた。本格的な夏が来る前に一応やっていたが,その記録をこのサイトに掲載する元気がない。

 ただ,記録を止めるとまずいという気持ちがあって,できるかどうかわからないけど,何とか記録することにする。

2025年10月19日

 18日に亀岡市立図書館に出かけて,はじめてタニハで一人で宿泊し,玄関前だけ何とか,刈り払いして,また,図書館に出かけた。ぼくとして異例の合理的動きであった。次の4枚は刈る前だ。

 刈った後を次に。

 次は土日でなくても,エッジと生垣を手ノコで。

以上,2025年10月23日記。




新修亀岡市史 the Newly Revised Kameoka City History

はじめに

 「丹の海」に関わる部分に関心がある。古本を探したが,新本販売中にもかかわらず送料を入れると新本の価格になってしまう。全く不要な資料編第3巻と,参考にはなるかもしれない資料編第5巻を「日本の古本屋」窓口から購入した。

 亀岡市文化資料館で新本を購入するつもりだが,本文編第1巻,資料編第1巻,資料編第4巻,5,000×2 + 6,500 = 16,500円になるか。

 昭和三十五〜四十年出版の『亀岡市史』上,中,下揃いと,昭和三十六年出版の『篠村史』(非売品)と,昭和六十年出版の『故郷鎮守の森 亀岡神社誌』も同窓口から購入した。いずれもリーズナブルな価格だ。まだ届かないが。

追記 2025年10月23日: 『亀岡市史』上,中,下,『篠村史』,資料編第3巻,資料編第5巻が昨日,届いた。『亀岡市史』上,中,下は明らかな盗難品で,上巻だけに残っていた所蔵機関の後継部局(京都歴史資料館)に電話したら,送らなくて良いという。中下巻の扉は見にくく破かれているが,この経緯を上巻の扉に示して,一応,使おうと思う。まあ,盗る方は悪いけど,盗られる方も問題ありだな。荒っぽい破り方からするとかなり大量に盗んだようだ。

1. 全8巻の内容紹介

 驚くほど簡単な紹介だ。次の「2.各巻目次」が用意されているのは,2巻分だけ。


本文編第1巻 地理・考古・古代・中世前期 872頁


付録

  • 亀岡市大字小字図(付図)
  • 亀岡市大字小字図索引(冊子)

緑豊かな亀岡の自然環境の成り立ちを再検証。また、人々の営みを草創期から足利尊氏の挙兵までを叙述した通史編です。【平成7年1月刊行・第1回配本】

メモ:新本で購入することになるだろう,5000円(税込)


本文編第2巻 中世後期・近世 1,064頁


付録

  • 近世の寺社と街道(付図)
  • 大堰川筋絵図(復刻絵図)
  • 南野山惣絵図(復刻絵図)
  • 大井川筋立合芝原絵図(復刻絵図)

元弘3年(1333年)の足利尊氏の篠村八幡宮での旗揚げのころから、明治維新を目前にした慶応3年(1867年)の戊辰戦争前夜のころまでを対象とした通史編。【平成16年3月刊行・第7回配本】


本文編第3巻 近代・現代 1,080頁


付録

  • 亀岡市域変遷図(付図)
  • 小学校変遷図(冊子)

慶応4年(明治元年・1868年)から平成元年(1989年)までの、近代・現代の亀岡地域の歴史を叙述した通史編です。【平成17年7月刊行・第8回配本】


資料編第1巻 考古・古代・中世 1,448頁


付録

  • 亀岡市の遺跡地図(付図)
  • 亀岡市の遺跡(冊子)

考古では、市内で発掘された旧石器時代から江戸時代にわたる遺跡126カ所を図や写真で詳しく紹介し、古代では、丹波国全体を対象とした文献史料219点、木簡資料69点を収録、中世では、明智光秀が丹波入りする直前の天正2年(1574年)までの1,558点の文献史料を収録しました。【平成12年1月刊行・第4回配本】

メモ:新本で購入することになるだろう,5000円(税込)


資料編第2巻 近世 1,336頁


付図

  • 丹州亀山城下町復原図/山陰丹府桑田亀山図/村落変遷図/形原松平系図
  • 別冊 図版・亀山藩主一覧・明智光秀文書一覧・亀山城下町屋敷一覧

近世(江戸時代)の亀岡に関する史料を集めました。領主編・広域編・地域編にわけて、領主や亀山藩のことや、争論や水運・街道のこと、各村々の様子などを示す史料を多数掲載しました。【平成14年3月刊行・第6回配本】


資料編第3巻 近代・現代 1,326頁


付録

  • グラフかめおか20世紀(写真集)

明治から平成までの近代・現代の亀岡に関する史料を集めました。本編は史料が中心ですので、「グラフかめおか20世紀」と題した写真集を付録としました。なつかしい写真がいっぱいです。【平成12年11月刊行・第5回配本】

メモ:古本で購入済み。


資料編第4巻 地域・文化財(建築・美術・民俗・地理) 1,042頁


付録

  • CDブック『生活の中のメロディー~亀岡の伝承音楽~』

市内の寺社建築や仏像や美術品などを網羅。祭や年中行事など、ハレの民俗を収載。亀岡を航空写真と地形図の対比で知ることができます。都市地理的に重要な統計資料も収録。別冊としてCDに民謡や祭囃子などを収録しました。【平成8年3月刊行・第2回配本】

メモ:新本で購入することになるだろう,6500円(税込)


資料編第5巻 亀岡の民俗誌 1,230頁

市内の7地区の生活の様子を口頭伝承にこだわらず、生活史を語る文献史料も積極的に活用して詳細に叙述した民俗誌編と、亀岡祭の行列帳の翻刻や懸装品の一覧、方言の資料や、有形民俗文化財として梵鐘など埋け型の原型や民具、石造文化財などの一覧を収めた資料編で構成しています。【平成10年3月刊行・第3回配本】

メモ:古本で購入済み。

2. 各巻目次

 一体,何が生じているのか,わからないが,各巻目次があるのは,本文編第1巻と資料編第三巻の二巻分だけだ。これはテキストで掲載する。他のコンテンツが無いので,画像データ(PDF)を掲載する。

本文編第一巻 目次

発刊のことば 谷口義久
監修のことば 上田正昭


序章 亀岡盆地の史脈と伝統 (2)

  • 国境の第一国 (2)
    丹波の亀岡/接点の要域/日本海とのつながり
  • 口丹波の軌跡 (8)
    派遣の将軍/王権と古墳/律令制と丹波
  • 変革と栄光 (16)
    時代の変転/幕藩体制の亀岡/先人の活躍

第一章 亀岡の自然環境 (22)


第一節 亀岡市の位置と広さ (22)

  • 相対的位置と絶対的位置/亀岡市域

第二節 亀岡の地質と構造 (26)

  • 亀岡付近の地質と岩石 (26)
    近畿の地質構造区分/亀岡の地質構造の分類/古い時代の地層/新しい時代の地層
  • 亀岡付近の断層分布 (33)
    主な活断層/亀岡断層・保津断層と西山断層/その他の断層/亀岡盆地の地下

第三節 亀岡市およびその周辺の地形概観 (42)

  • 地形区分 (42)
    接峰面図の作製/丹波山地
  • 亀岡周辺の水系 (47)
    市域を流れる河川/桂川水系/安威川水系と猪名川水系
  • 亀岡付近の起伏の成立 (52)
  • 丹波山地の起伏/亀岡盆地の推積層/亀の背地形(定高性)/古い時代の亀岡(第二瀬戸内海時代)/ブロック化/亀岡盆地の段丘地形

第四節 亀岡の地形誌 (61)

  • 丹波山地 (61)
    若丹山地/摂丹山地/盆地南側の山地
  • 段丘と沖積平野 (70)
    桂川左岸側の段丘/桂川右岸側の段丘/沖積平野
  • 本梅盆地と谷底低地群 (76)
    山地とその山麓/山麓の麓屑面/摂丹山地南麓の谷底平野群
  • 特異な地形 (81)
    谷中分水界/深い谷地形/曽我部町の地形/崩壊地形

第五節 自然と人間 (90)

  • 集落 (90)
    天井川と集落/山麓や丘段上の集落/沖積地と集落
  • 災害 (94)
    桂川の水災害/土砂災害
  • 亀岡の気象 (99)
    気候と降雨/霧の漂う盆地/寒天づくり

第二章 丹波の黎明 (108)


第一節 旧石器時代の丹波 (108)

  • 旧石器時代の自然と気候 (108)
    最初の住民/氷河時代/日本人はどこからきたか
  • 亀岡盆地の旧石器時代 (115)
    鹿谷遺跡の石器/京都府域の旧石器遺跡/旧石器時代の生活

第二節 狩猟と採集の社会 (123)

  • うつわの誕生 (123)
    相次ぐ縄文遺跡の発見/土器の出現/縄文時代の時期区分/土器の編年作業/土器の年代
  • 縄文土器の流れ (130)
    縄文土器/草創期の土器/早期の土器/前期の土器/中期の土器/後期の土器/晩期の土器
  • 縄文人のくらし (136)
    住まい/縄文時代の人口/縄文人の行動範囲/貝塚/縄文人の墓
  • 縄文人の道具 (142)
    槍から弓矢へ/植物採集/魚貝類の採集/第二の道具

第三節 農耕社会の成立 (148)

  • 稲作の伝来 (148)
    太田遺跡の発見/稲の来た道/遠賀川式土器の広がり/稲作文化がもたらしたもの
  • 弥生土器の変遷 (154)
    弥生土器/第一様式の土器/第二様式の土器/第三様式の土器/第四様式の土器/第五様式の土器
  • 弥生ムラの実態 (159)亀岡盆地の弥生遺跡/環濠集落/最初の戦争/太田遺跡の石器/北金岐遺跡の田舟/大溝の堰/北金岐のムラ/北金岐ムラの交流
  • 弥生人の墓とまつり (171)
    犬の散歩でみつかった石剣/弥生時代の墓/弥生人のまつり/下弓削発見の銅鐸/銅鐸祭祀の終焉

第三章 古墳文化と古代豪族 (180)


第一節 古墳時代のはじまりと丹波 (180)

  • 古墳の出現 (180)
    園部町黒田古墳の発見/弥生の墳丘墓と古墳/倭王権の確立/古墳のひろがりと丹波/口丹波の初代首長
  • 伝承からみた亀岡の古墳 (189)
    口碑と古墳/桑下漫録と古墳/伝承からみた古墳
  • 亀岡盆地の前期古墳 (194)
    丹波への関門/丹波国と久我国/東アジアとの交流-筒形銅器
  • ムラのくらしとまつり (200)
    ベッドのある家/ムラの変化/木の容器/木でつくった鏃

第二節 前方後円墳の世界 (207)

  • 倭の五王の時代 (207)
    大王墓の移動/丹波政権
  • 亀岡盆地の中期古墳 (210)
    梅原末治の業績/棺と槨/副葬された鏡/丸い柱の家の埴輪/甲胄に身を包む被葬者/方墳の存在/地域勢力の動向/中期のムラ
  • 大王陵と千歳車塚古墳 (226)
    江戸時代の千歳車塚古墳/千歳車塚古墳の復元/千歳車塚古墳と継体王朝/大王と丹波の盟主的首長

第三節 群集墳の展開 (234)

  • 大陸文化の普及 (234)
    横穴式石室の採用/六世紀の首長墓/横穴式石室の時代/新しい生産技術/装身具と機織り
  • 群集墳と村落 (251)
    群集墳の形成/盆地各地の群集墳/石棚を持つ石室/古代のムラの風景/八木嶋遺跡と坊田古墳群

第四節 丹波と倭王権 (267)

  • 古代の丹波 (267)
    王権と古鏡/「丹波」の首長/丹波の県主/日本海と丹波/丹波王国論/丹波に居住した氏族
  • 丹波をめぐる伝承と史実 (287)
    后妃伝承/四道将軍/水江浦嶋子をめぐって/筒川嶋子伝説/常世の国/日下部首と嶋子伝承/豊宇賀能売命と大宮売命/櫛石窓神・豊石窓神/御食津神と丹波/倭彦王/千歳車塚古墳/蘇斯岐屯倉

第四章 律令体制の成立 (316)


第一節 古代寺院の成立 (316)

  • 仏教伝来と地方伝播 (316)
    古墳の終末と仏教/古墳から寺へ/丹波への広がり
  • 亀岡盆地の古代寺院 (322)
    国府寺か/桑寺廃寺/瓦で化粧した基壇/ミコシ堂と塔ツカ/梵鐘をつくる/礎石が残る興能廃寺/寺院の空白地域を埋める/首長墓と古代寺院
  • 古代寺院と氏族 (336)
    屋根を飾る瓦/山陽道に分布する瓦/隼人と丹波の氏族/本薬師寺の瓦との共通性/藤原宮の瓦との共通性/高句麗系の瓦
  • 寺院をみた民衆 (347)
    竪穴から堀立柱へ/工人の村

第二節 国郡郷制度と農民生活 (350)

  • 古代の亀岡 (350)
    大化改新/律令体制/山陰道と丹波国/郷名の比定
  • 丹波の居住者 (358)
    丹波の豪族/秦氏/丹波氏/出雲氏/部民の系譜を引く氏族/隼人と蝦夷/土地制度と税制
  • 丹波国の産業 (366)
    木材/鉱工業/牧と氷室

第三節 丹波国府の造営 (370)

  • 丹波国府の構造 (370)
    丹波守大江匡衡/丹波国府の施設
  • 丹波国府をめぐる諸説 (376)
    桑田郡にあった丹波国府/丹波国府の諸説
  • 丹波国府と発掘調査 (383)
    池尻遺跡の発掘調査/千代川遺跡の発掘調査

第四節 国分寺と国分尼寺 (391)

  • 仏教の伝来 (391)
    国分寺建立の詔/仏教公伝/仏教興隆の主導権
  • 国家仏教の成立 (395)
    天武朝の仏教/神と仏/護国経典/神祗の体系化
  • 僧尼の生産と統制 (399)
    僧尼の生産/僧尼令
  • 天平期の国家と仏教 (402)
    行基集団/行基と光明皇后/天然とうの流行/玄ぼう
  • 国分寺・国分尼寺の性格 (408)
    法華経と国分尼寺/光明皇后と阿倍内親王
  • 丹波の仏教と国分寺 (411)
    亀岡の古代寺院/丹波国分寺・国分尼寺
  • 丹波国分僧寺を発掘する (414)
    一七個の礎石/天にそびえる塔/再建された金堂/建物の配置/丹波国分尼寺はどこか/尼寺跡を掘る
  • 丹波国分寺の光と影 (423)
    僧寺と尼寺/中央政府の技術指導/丹波国分寺と唐招提寺の瓦/如宝と空海/国分寺がたどった運命

第五節 古山陰道の変遷 (432)

  • 奈良時代までの古山陰道 (432)
    山陰道の要/国分寺と古山陰道/案察使/A-B古道の方位
  • 平安時代の駅路 (440)
    老ノ坂と大枝駅/野口駅・小野駅/国府への道

第六節 村落と条里 (446)

  • 条里の制 (446)
    古代の土地区画/坪並の方式
  • 亀岡盆地の条里遺構 (450)
    大堰川東岸の条里/古墳の立地/一致しない条里パターン/大堰川西岸の条里/犬飼川流域の条里/条里の分布限界
  • 里の編成と集落 (467)
    坪番号を示す小字名/坪並方式/文献資料の検討/墓廻里と車塚古墳/市域西端部の条里

第七節 仏教美術の伝播 (481)

  • 天平時代の亀岡の仏教美術 (481)
    金輪寺の薬師像/丹波康頼の伝承/甘露寺の十一面観音像
  • 悔過信仰の流行 (487)
    神護寺の薬師像/甘露寺観音像と悔過信仰/大宮神社の吉祥天像/市内の天平寺院

第五章 王朝の世界 (494)


第一節 山背遷都と丹波 (494)

  • 丹波と長岡・平安遷都 (494)
    平城京の放棄/丹波と宮都の伝統/造営の用材/宮都の労働力源
  • 丹波医道の展開 (503)
    平安時代の医学/丹波氏の伝統/丹波康頼と『医心方』
  • 丹波農民の愁訴 (516)
    愁訴とは/丹波国農民の場合

第二節 酒呑童子の伝説 (521)

  • 酒呑童子説話の展開 (521)
    説話の概要/二つの大江山/首塚/貴船の本地
  • 老ノ坂子安地蔵の伝説 (535)
    子安地蔵の縁起/子易物語
  • その他の伝説 (543)
    医王谷/千手寺縁起

第三節 生産技術の発達 (547)

  • 丹波の古代の産業 (547)
    現代に活きる古代の特産物/林産と木材加工/丹波の古代工業
  • 篠窯跡群の成立 (554)
    篠窯跡群の発掘調査/篠窯跡群の隆盛/西長尾三号窯/篠窯跡群の変換
  • 篠の小型窯 (564)
    小型窯の発見/小塩から篠へ/前山二・三号窯の発見/緑釉陶器/西長尾五・六号窯の発見/二つの相違した小型窯/窯で働いた人々/みつかった工房跡/篠製品の供給先/須恵器窯の終焉
  • 平安建都・造寺と瓦生産 (578)瓦の歴史/丹波の瓦窯/篠瓦窯の操業/一号瓦窯はなぜ窖窯なのか/布目の瓦/平安京に運ばれた丹波の瓦/受領層と篠瓦窯

第四節 寺社の文化 (594)

  • 穴太寺の信仰 (594)
    平安時代丹波と仏教/穴太寺の創建
  • 式内社の編成 (600)
    神祗信仰の展開/式内社の成立/式内社の特質

第五節 仏教美術の光華 (609)

  • 貞観彫刻の発展 (609)
    平安遷都後の彫刻/兜跋毘沙門天
  • 天台・真言両宗の進出 (613)
    市内の天台宗寺院/市内の真言宗寺院/仁和寺領弥勒寺別院
  • 穴太寺観音像の造立 (620)
    仏師感世/都の仏師と在地の仏師

第六章 院政と源平の争乱 (626)


第一節 院政の成立と受領層 (626)

  • 院政の確立 (626)
    後三条天皇/白河院政の成立/受領層の活動
  • 丹波守の特色 (631)
    丹波の重要性/丹波守と院近臣
  • 丹波守の活躍 (638)
    源顕仲・季房/高階為章/藤原敦宗/藤原忠隆/国務の変遷

第二節 平氏政権と源平争乱 (648)

  • 保元・平治の乱 (648)
    保元の乱/平治の乱/丹波における武士団の出現/平治の乱と丹波の武士
  • 平氏政権と源頼政の挙兵 (655)
    平氏政権の成立/源頼政の挙兵/頼政塚の伝説
  • 平氏の没落 (666)
    丹波総下司の設置/平盛俊/平氏の都落ち
  • 源義経と亀岡 (672)
    源平の合戦と丹波/義経の活躍/篠村の変転

第三節 仏教美術の発展 (680)

  • 定朝様の流行 (680)
    浄土信仰の広まり/寄木造法/仏師の組織
  • 亀岡の定朝様仏像 (683)
    おもな作品/釈迦像から薬師像へ/市内の院政期の仏像/市内の一木造像
  • 亀岡の院政期の神像 (690)
    神像とは/市内の神像/小幡神社と出雲大神宮の神像

第七章 公武政権の相克 (696)


第一節 幕府の成立と承久の乱 (696)

  • 天下の草創 (696)
    時政の上洛/地頭の設置/丹波守護大内惟義
  • 後鳥羽院政 (704)
    後鳥羽院政の成立/院知行国丹波
  • 承久の乱 (710)
    公武の対立/乱の勃発と丹波武士/京方の敗北

第二節 荘園と地頭 (719)

  • 幕府勢力の浸透 (719)
    乱後の情勢/六波羅探題と丹波守護/新補地頭の補任
  • 中世荘園の成立 (726)
    荘園・公領体制の成立/丹波における荘園
  • 亀岡における荘園 (731)
    摂関家領荘園/皇室領と御願寺領/寺社領の荘園
  • 荘園をめぐる紛争 (740)
    地頭の非法/地頭請と下地中分

第三節 鎌倉後期の丹波 (746)

  • 政治・社会の変容 (746)
    後嵯峨天皇の即位/幕府の変容と丹波守護/悪党の蜂起/一遍智真と穴太寺
  • 足利高氏の挙兵 (757)
    倒幕の気運/千種忠顕の上洛/挙兵以前の足利氏/篠村における挙兵

第四節 仏教美術の普及 (770)

  • 鎌倉新様式の仏像の出現 (770)
    慶派の進出/南都復興と慶派/快慶と市内の安阿弥様仏像
  • 亀岡の石造美術 (777)
    市内の石仏/真神寺御正体
  • 亀岡の鎌倉時代の仏画 (779)
    残りにくい仏画/釈迦十六善神像と大般若経

第五節 鎌倉時代の建築文化 (783)

  • 寺院建築と石造層塔 (783)
    絵巻に見る穴太寺/石造層塔/野口荘と神尾寺文化圏/古渓山千軒寺跡
  • 広峯神社の棟札をめぐって (795)
    棟札とは/樫舟神社と広峯神社の棟札/大梵天王/広峯神社本殿
  • 愛宕神社の本殿 (803)
    鎌倉時代の神社本殿遺構/新様式の摂取/「むら」の社

略年表 (810)


巻末資料

  • 編さん委員・専門委員一覧
  • 執筆分担一覧
  • 写真・図・表一覧
  • 参考文献一覧

付録

  • 付図 亀岡市大字小字図(全三葉)
  • 冊子 亀岡市大字小字図索引

本文編第二巻 目次

 ブラザー複合機で性能はあまり宜しくなく,本をまずは紙コピーして,それを600dpiで給紙スキャンした。

資料編第一巻 目次

資料編第三巻 目次

『グラフかめおか20世紀』目次
刊行のことば 田中 英夫
監修のことば 上田 正昭


近代


一 史料解説 (3)

二 亀岡の明治維新 (16)

  • 一 廃藩置県と新しい行政 (16)
  • 二 立憲国家形成期の亀岡 (34)
    自治の伝統と議会制度の導入/自由民権運動/弓箭組/村の生活/士族の状態
  • 三 地租改正と諸産業の展開 (63)
    地租改正/物産取調/小作問題/物産会の開催/土地取引/農村金融/銀行/鉱業/同業組合/社倉米/災害
  • 四 近代教育制度と地域社会 (87)
    教育行財政・初等教育/補習・中等教育・教員/明治初年の被差別部落の状況/地域・保津川下り

三 亀岡の近代化と再興 (140)

  • 一 町村制の施行と新町村の発足 (140)
    議会制度と近代化/町村の行政と状況/軍事援護/寅天堰と水管理/鉄道建設/弓箭組/村の生活
  • 二 地主制の発達と諸産業 (205)
    農業改良の進展/農業諸団体/米穀検査の開始/小作問題/農村金融/諸産業の発展/鉱業の展開/部落有財産統一/災害
  • 三 学校教育の発達と地域社会 (241)
    教育行財政・初等教育・中等教育/実業補習学校・夜学・青年会/教員・社会教育・壮丁教育/宗教・社会事業・婦人会/地域・保津川下り

四 第一次大戦と亀岡の発達 (288)

  • 一 大正デモクラシーと地域の発達 (288)
    一般行政など/諸団体/篠村部落有財産統一/亀能鉄道/寅天堰関係
  • 二 農業の変貌と農民運動の展開(326)
    商工業の発展/農業諸団体の発展/金融恐慌/土地改良事業の進展/京都府産米の声価/小作問題/自作農創設維持事業
  • 三 教育の自由化と地域社会(362)
    教育行財政・初等・中等教育/社会教育・教員・青年団・壮丁教育/宗教・社会事業・婦人会/地域・保津川下り

五 昭和恐慌と戦争への道 (408)

  • 一 昭和恐慌と産業構造の変貌(408)
    昭和恐慌期の農業/経済更正計画/自作農創設維持/地方銀行の整理・集中/小作問題/労働争議
  • 二 昭和初期の町村行政(434)
    一般行政など/軍事/旭村・富本村合併問題/河原林村・千歳村・馬路村合併問題/寅天堰問題
  • 三 戦時体制下の行政・産業(460)
    戦時農業/産業組合による病院経営/軍事援護活動/勤労動員/兵士・満州開拓民/医療・厚生/国民統制/官製国民運動団体/疎開・防空
  • 四 昭和恐慌後の教育と地域社会(513)
    初等・中等教育/社会教育・青年・教員/宗教・社会事業・地域

六 総記 (550)

  • 一 日記(550)
    山田理助日記/山田理一郎日記/山田晋太郎日記
  • 二 政治関係書簡(671)

現代


一 史料解説 (685)

二 戦後亀岡の再出発 (694)

  • 一 戦後の政治改革と町村政(694)
    敗戦直後のようす/町村政の動向/警察と消防
  • 二 戦後の暮らしと経済(744)
    敗戦直後の生活事情/農地改革/農協の設立と農林業の発展/商工業の発達/世相・観光・文化/交通・通信・運輸
  • 三 戦後の教育改革(796)
  • 四 戦後の災害と復旧(820)
    阿久根台風/デラ台風・ヘスター台風/ジェーン台風/七・一一水害/ダイナ台風と昭和二十七年の豪雨被害/昭和二十八年の災害

三 亀岡市の誕生 (902)

  • 一 合併推進の動向(902)
    旭村と船井郡富本村との境界変更/合併の促進/亀岡市の設置/合併前後のようす
  • 二 亀岡市発足後の合併(926)
    昭和三十年代の合併状況/南桑田郡樫田村と高槻市との合併/亀岡市と船井郡東本梅村との合併/亀岡市東本梅町南大谷・若森と船井郡園部町との合併/西別院町牧・寺田の分市/篠村の合併/馬路町の一部の八木町への編入

四 新たな発展と亀岡市 (982)

  • 一 亀岡市行政の展開(982)
    市政の始動/選挙/行・財政/庁舎建設と公共施設/生活基盤の整備/道路・交通網
  • 二 産業の発展と構造変化(1015)
    暮らしの変容/住宅開発/工場誘致/農林業と伝統産業/商店街と大型店/観光/環境問題
  • 三 災害と事故(1066)
    水害とその対策/事故
  • 四 住みよい町づくり(1096)
    総合計画と公共施設/生活基盤の整備/人権・同和問題の取り組み/道路・交通網
  • 五 教育と文化の発展(1141)
    教育/文化
  • 六 二十一世紀に向かって(1181)
    市民憲章と宣言/姉妹都市と国際交流

統計資料 (巻末から)

  1. 人口(3)
  2. 財政(6)
  3. 公務員(12)
  4. 農林水産業(13)
  5. 事業所(38)
  6. 運輸・通信(47)
  7. 衛生(48)
  8. 教育・文化(49)

巻末資料

  • 編さん委員・専門委員一覧
  • 執筆分担一覧
  • 資料提供・協力者一覧
  • 写真・図・表一覧

付録

冊子 写真集『グラフかめおか20世紀』

資料編第五巻

3. 詐欺サイト

 「あなたが」という詐欺サイトにひっかった。埼玉県の詳細な住所や電話番号などがあり,この情報には疑いを持たなかった。新修亀岡市史全8巻が6,500円弱。

 以前,祖父の遺品として1万円余でメルカリで販売されていたが今はもう購入済みであることは知っていた。写真も全く一緒。横流しなどの盗品であってもいいかなあ?と悪魔が囁く。下の図の個数の枠に誤って2を入れても全然問題がないことで奇妙に感じたことが良かった。

 Perplexityに聞いたら,全くの詐欺サイトで,この「あなたが」の被害報告があるとのこと。口コミは中国のもの。会員登録をしてしまったので,悪用される可能性があり心配だ。

 改めて,「日本の古本屋」サイトはツクヅク安心だと思う。ここでも新本販売中なのに,それより高かったりしている古本店はあるのだが。

以上,2025年10月21日。




国立国会図書館への納本について the deposit to the National Diet Library, Japan

はじめに

 国立国会図書館への納本については,父木庭次守は適宜実行してきた。体調を崩してからは送付していないが,父昇天後にも,複数回,収書部の担当者からハガキが届いていた。

 飯塚弘明さんの情報を元に,『大本教學』については,Nos. 4, 18, and 19が欠損していることを知った。後回しにすると興味を失うので,まずは国会図書館の納本システムについて調べた。

1. 国会図書館への納本システム:aiを使って

 通常の検索をして,企業・団体、個人からの納本 のWebページを知ったが,先にPerplexityに聞いてみた。「紙の出版物を納本する場合」の自前の場合を中心に,ここに転載する。

 次を見ていただくとわかるが,簡潔である。


紙の出版物を納本する場合


郵送による納本
無償納本の場合は事前手続き不要で、以下宛先へ郵送します。

  〒100-8924  東京都千代田区永田町1-10-1  
  国立国会図書館 収集書誌部 国内資料課 収集第二係

受領書が必要な場合は、その旨と送付先を記したメモを添えます。
送料着払いは不可です。



電子書籍を納本する場合(eデポ制度)

 Amazon Kindle本は自動納本対象外なので、希望する場合は直接国会図書館へ申請が必要です[6] [8][9]。

[6] せっかく書いたKindle本なんだから国立国会図書館に納本して … https://note.com/return_rider/n/n2cce49abce63

[8] 【2023年11月】国会図書館は電子納本もやっていた https://office-ukawa.com/about-national-diet-library-electronic-deposit/
[9] 「kindleペーパーバック」と国立国会図書館の「納本制度」 … https://note.com/bright_tern251/n/ncc87e45e4e3c


納本の全体像

種類 方法 事前手続き 宛先または場所 備考
紙の本(無償) 郵送または持参 不要 〒100-8924 東京都千代田区永田町1-10-1 国立国会図書館 受領書希望の場合はメモ添付[1]
紙の本(有償) 郵送または持参 事前連絡・納入書必要 同上 小売価格の5割支給[3][6]
電子書籍 専用サイトでデータ送信 eデポ申請要 オンライン手続き Kindle本は自動納本対象外[8][7]

[1] 企業・団体、個人からの納本 https://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/qa05.html

[7] オンライン資料収集制度(eデポ) https://www.ndl.go.jp/jp/collect/online/index.html

 納本後、概ね1か月前後で国立国会図書館サーチに登録され、全国で閲覧可能になります[4][5]。
[4] 同人誌を国立国会図書館に納本した話(窓口持ち込み編) https://note.com/genmaitea/n/nd4e62c231c28
[5] 自分の同人誌を国立国会図書館に納本する方法 (無償、有償 https://note.com/5tyon/n/n4745dfac6aa2

紙の本を郵送で国立国会図書館へ納本する際に必要な書類は、無償納本か有償納本かで異なります。


必要書類など:無償納本の場合(一般的な自費出版・同人誌など)

必要書類

 特別な書類は不要。書籍をそのまま郵送すれば納本が完了します[1][2]。
 ただし、スムーズな処理のため、次のような簡易書類を添えるのが推奨されています[3][4]。

 [1] 納本制度をご存じですか? https://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/pdf/deposit_request_pvt.pdf
 [2] 企業・団体、個人からの納本 https://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/qa05.html
 [3] 国立国会図書館に同人誌を納本する方法 https://akademeia.info/?p=22709
 [4] 国立国会図書館に納本するのは自費出版の本でも必要?流れ … https://jihishuppan-hikaku-navi.com/jihi/kokkai-tosyokan/

添付すべき内容

  1. 送付状またはメモ(A4用紙一枚程度)

  • 発行者名・住所・電話番号
  • 書籍名・発行年月日・ISBN(ある場合)
  • 「無償で納本いたします」と明記
  • 受領書が欲しい場合は、「受領書希望」と記載し、返送先住所を記入

  1. 発行者確認メモ(ペンネーム使用時)
    ペンネームで出版している場合は、「本人である旨」を明記した一文を添えます[4]。

宛先

〒100-8924  
東京都千代田区永田町1-10-1  
国立国会図書館 収集書誌部 国内資料課 収集第二係

同封内容

  • 出版物1部(または2部)
  • 記入済みの「出版物納入書」
  • (必要に応じて)販売価格のわかる資料(Amazon販売ページの印刷など)[7][4]

 [7] ひとり出版社が出版した本を国会図書館に納本してみた https://note.com/339planning/n/na153a2bdba42

まとめ

納本種別 必要書類 補足説明
無償納本 書類不要(送付状・連絡先メモ推奨)[1][3] 受領書希望時はメモに記入
有償納本 出版物納入書(要事前取り寄せ)[2][5][6] 発行者情報と販売価格を記入

郵送時は元払いが原則で、着払いは不可です[4]。
書籍が届くと約2〜3週間で受領処理され、希望者には受領書が返送されます[2][3]。
[5] せっかく書いたKindle本なんだから国立国会図書館に納本して … https://note.com/return_rider/n/n2cce49abce63
[6] 同人誌作って国立国会図書館に納本するンゴ https://note.nikachu.net/posts/ngo-series-make-record-nouhon/

国立国会図書館へ書留や宅配便で納本する際の宛先と表記方法


宛先
〒100-8924  
東京都千代田区永田町1-10-1  
国立国会図書館  
収集書誌部 国内資料課 収集第二係  
行

表記方法のポイント

  • 「行」は部署名の最後に書きます。
  • 送付状やメモを同封する場合は、発行者の名前・住所・電話番号を明記します。
  • 受領書を希望する場合は、「受領書希望」と明記し、返送先住所も必ず書きます。
  • 書留・宅配便ともに、送料は必ず元払いで送ってください(着払い不可)[1][2]。

これらの宛先と表記で確実に納本先へ届きます。

情報源
[1] 企業・団体、個人からの納本 https://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/qa05.html
[2] 国立国会図書館に納本するのは自費出版の本でも必要?流れ … https://jihishuppan-hikaku-navi.com/jihi/kokkai-tosyokan/

2. 国会図書館への納本システム:関連部分抽出

 企業・団体、個人からの納本を覗いてみた。

 先に結論を言うと,aiの情報はこの件に関して,古くはなかった。aiの情報は現状に即していないことが多々ある。

1:対象となる出版物

 頒布を目的として相当部数(通常100部以上)を刊行した、国内発行の出版物です。
 図書、雑誌・新聞だけでなく、CD・DVD・ブルーレイ、レコード、楽譜、地図なども対象となります。
 また、社史・団体史等の出版物や個人による自費出版物でも、相当の部数を作成し頒布されているものは納本の対象となります。
 ただし、ホチキス留めなど簡易綴じのもの、広く一般に公開することに支障があるものなどは、納本の対象とはなりません。

※「相当部数」の詳細については、「10:納入出版物代償金支払いの対象となる出版物の基準」を参照してください。

※ISBNコード、JANコードの付与がない出版物も、納本の対象となります。

※電子書籍、電子雑誌等のオンライン資料については、「オンライン資料収集制度(eデポ)」をご覧ください。

8: 無償での納入の手続き

事前の手続き等は必要ありません。

当館に送付する場合は、郵送または宅配便等の方法によりお送りください。
着払いではお受けできません。送料をご希望の場合は事前にご相談ください。
ご要望に応じ受領書を送付します。受領書を希望する旨と送付先を記入したメモを添えてください。

【無償での納入の場合の宛先】
〒100-8924 東京都千代田区永田町1-10-1
国立国会図書館 収集書誌部 国内資料課 収集第二係

納本の問い合わせ先

国立国会図書館 収集書誌部 国内資料課
電話:03-3581-2331
FAX:03-3504-1569
納本手続全般について 収集第一係(内線24611)
無償での納本について 収集第二係(内線24622)
有償での納本(納入出版物代償金)について 収集第三係(内線24630)

*お問い合わせ受付時間:月~金 9時~17時45分(祝日・年末年始を除く)

※納本に際して取得した個人情報は、納入出版物代償金の支払い、納本された資料に関するお問い合わせ、受領書等の発送のために使用します。

国立国会図書館の個人情報の取扱いについて

3. 国立国会図書館に送付した学会誌の欠損巻号を調べる

 aiに聞いてみた。


3.1 国立国会図書館サーチでの検索

  • 国立国会図書館が所蔵している学会誌のタイトルを「国立国会図書館サーチ」で検索します。
  • 希望の学会誌タイトルをクリックすると「タイトル書誌」画面が開き、刊行された巻号の一覧が見られます。
  • 巻号ごとに所蔵状況が掲載されているため、欠損している巻号はリストに含まれていません。
  • 巻号や刊行年月で絞り込み検索も可能です[1][2][3]。

3.2 特殊なケース

  • 学会誌が途中でタイトルや刊行形態を変えている場合、「継続前」「継続後」など別タイトルのデータも閲覧してください。
  • 古い巻号がマイクロフィルムやデジタル化資料で保存されていることもあり、その場合は別の所蔵情報に記載されています[1]。

3.3 国立国会図書館オンライン(OPAC)利用

  • 国立国会図書館オンラインのOPACでも所蔵資料の詳細な情報検索ができます。
  • 学会誌名、ISSN、キーワードなどで直接検索し、欠損巻号がないか確認可能です[4]。

3.4 不明な場合の問い合わせ

 サーチやOPACで見つからない巻号があれば、国立国会図書館の収集担当部署に問い合わせることも可能です[5]。
 [5] 学協会刊行物に関するQ&A https://www.ndl.go.jp/jp/collect/tech/society/qa.html


このようにして所蔵状況を確認し、欠損巻号を特定できます。国立国会図書館サーチの利用が最も手軽でおすすめです[1][2][3].
 [1] 国立国会図書館サーチで雑誌を探すには | リサーチ・ナビ https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/plan/post_598
 [2] 記事・論文の探し方 | リサーチ・ナビ https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/plan/post_605
 [3] 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ) https://ndlsearch.ndl.go.jp

3.5 『大本教學』で検索

 国立国会図書館サーチ,を開くと,入力欄が多数用意されているが,「タイトル」欄に,「大本教學」を入れると,検索名:「大本教學」を含む複数テーマのジャーナルが表示される。
紙雑誌雑誌タイトル:大本教学研鑽所<Z9-352>

 飯塚さんの情報と一致している。Nos. 4, 18, 19が欠損しているので,本日,梱包しよう。

4. 『大本教學』欠損号の送付

次のように文案を作成した。本日,レターパックライト 430にて送付予定。

〒100-8924 

東京都千代田区永田町1-10-1 

国立国会図書館 

収集書誌部 国内資料課 収集第二係 御中


2025年10月21日

拝啓 

(略)『大本教學』誌の解題を作成しようと思い,関係者に問い合わせて欠損部分などを埋めました。

 国立国会図書館サーチで,確認したのが次の情報です。

 Nos. 4, 18, and 19が欠損しているようです。この3冊を本便に同封しております。宜しくご査収ください。

同封内容: 『大本教學』Nos. 4, 18, and 19

発行所: 大本教学研鑽所 京都府亀岡市天恩郷

送付者: 略

メール: 略

 なお,受領書希望します。送付者の住所にお送りください。

敬具

以上 2025年10月21日。




タニハでの初めての独寝と折り畳みベッド注文 the first night sleeping alone in Taniha, and ordering a folding bed at Amazon

はじめに

 暑夏と論文作成でタニハには永く出かけなかった。茫茫たる夏草と急遽浮上した論文テーマなどで亀岡市立図書館に行く必要性もあって,10月18日(タニハ開所五十一周年)に泊まった。18日は亀岡市立図書館で資料収集,泊まった翌日は,まずは刈払機で1回,その後,また亀岡市立図書館に出かけた。

1. ハードな宿泊を踏まえてベッド注文

 タニハで眠るというのはハードルが高かった。一昨年か,川口さんがきて,一緒に四泊した。そして,この日が最初の独寝である。亀岡市立図書館での徒労的なお仕事のあと,駅裏のスタバで夕食。亀岡で食事する気がしないので,相変わらずスタバだ。駐車場が1時間内,無料だが,信じられないけど,1分過ぎたのか,220円。

 スーパー松本に入って,夜食のおにぎり,朝食用のフランスパン,プレーンヨーグルト,三色サラダを購入。まあ,何とか,タニハでの宿泊の決心がついた。

 モンベル一色をコタツ敷きの上に乗せて,後に睡眠に入ったのであるが,クッションが無いので腰が痛い。これが日曜日で今は火曜日の夜だけど,まだ痛いのだ。

 枕はコタツの掛け布団にした。インナーには枕を入れる袋があるが,全然入らない。膝掛け用の毛布を入れたのであるが,どうにも落ち着かなかった。自宅でも眠れないが,タニハではさらに眠れなかった。

図1 モンベルの寝袋とインナー

 昨年春に買ったベルメゾンのセットを購入するべく注文したら,ベッドは送料無料のはずだが,送料も請求される。クレームの電話をして,回答者に騙されて,翌日電話して,対応を求めたが,回されて,嫌になって,買い物かごから削除した。

 火曜日深夜には,新たにアマゾンで物色して,ベルメゾンより少し高いがエムールのすのこベッドを購入しようとした。しかし,耐荷重がなぜか90kgに過ぎない。いろいろみて,結局,ベルメゾンの半額で,「タンスのゲン」の折り畳みベッドとソファーを注文した。火曜日の夕刻には届く予定で待っていたが,水曜日に延期の連絡があった。

 なお,月曜日には枕も注文した。今の自宅の枕が気に入っているが近所のジェットで一万七千円だったので,アマゾンで物色していたら三千円弱のがあった。火曜日の午前中に到着した。思ったよりも薄かったがまあ許容範囲か。

2025年10月22日深夜記。

IKSTAR 枕 肩・首・頭をしっかりと支え まくら 肩がラク 独自の中空設計 低反発 安眠枕 ポリウレタンフォーム 通気性 ピロー プレゼント 洗えるカバー ライトグレー 54×42cm 格子縞

タンスのゲン 組み立て“超ラク” 折りたたみ すのこベッド セミダブル 天然木 ベッドフレーム フレームのみ 四つ折り 組立簡単 17620122(96996)
積層合板。¥20,999
【サイズ】【セミダブル】 幅120×奥行き195×高さ約30/17cm 【重量】セミダブル:約23kg【耐荷重】約350kg 【素材】本体・脚:天然木パイン無垢材 /スチール すのこ:積層合板※傷防止フェルト付属 【生産国】中国 【梱包サイズ】【セミダブル】 124×56×23cm

タンスのゲン マットレス セミダブル 厚さ10cm 「純」高反発(R) 密度25D 硬さ190N 三つ折り 洗える カバー付き 高反発マットレス 敷布団 折りたたみ メッシュ ベージュ 13810092(101602)
¥8,999

 タニハ経由で亀岡市文化資料館から自宅に戻ったら,組み立てベッドとマットレスが届いていた。昨春,ベルメゾンから購入したものに比べると容積が小さく,価格も半額だ。明後日かなあ,タニハに運ぶだろう。「タンスにゴン」と勘違いしていた。右の大きい方がソファか?

以上,2025年10月22日。日が変わる前。




丹波国南桑田郡の和銅二年「創立」四宮と他の二宮 Four shrines ‘established’ in the second year of Wadō (709 AD) and other two shrines in ancient Tanba-south Kuwata Province

はじめに

 大宝元(701)年,大宝律令が制定され,地方官制については、国・郡・里などの単位が定められ(国郡里制)、中央政府から派遣される国司には多大な権限を与える一方、地方豪族がその職を占めていた郡司にも一定の権限が認められていた。

 京都府教育会南桑田郡部会編(1924)『南桑田郡誌』を参照すると,薭田野神社について(pp. 197-198),「和銅元 (708) 年大神朝臣狛麻呂(おおみわのあそみこままろ),初めて丹波國守となり,同二年本社を創建すと云ふ。」などとあり,これと同様の記事は,現亀岡市域の他の神社三社にも見られ,大神朝臣狛麻呂(おおみわのあそみこままろ)に関わる丹波國での「創建」

[i]はこの計四社であった。他の三社は,鍬山(クハヤマノ)神社(祭神:大巳貴(おほなむち)尊,pp. 168-172),出雲(イヅモノ)大神宮(祭神:大国主(おほくにぬし)命,pp. 205-212),小幡(ヲハタノ)神社(祭神:開化天皇,pp, 192-197)で「創建」年次は一致している。いずれも延喜式神名帳に掲載されている。四社ともに「創建」とあるが突然祭神を決めることはできず,すでに丹波での名声があった上での新たな国司任官を機とする権威付があったのであろう。秦氏などとの勢力図との関連もある。


[i] 四社ともに「創建」とあるが突然祭神を決めることはできず,すでに丹波での名声があった上での新たな国司任官を機とする権威付があったのであろう。秦氏などとの勢力図との関連もある。

1. 請田神社と桑田神社も和銅二年「創建」グループに属するか

 筆者はさしあたり,上記四社を和銅二年四社としたが,歴史家からは確定されていないが,請田神社も和銅二年「創建」の可能性は高いように思われる。『南桑田郡誌』を流し読みした際に気にはなったが,この和銅二年「創建」の記述はなかったので,このグループに入れてはならない,と考えた。

1.1 『南桑田郡誌』とWikipedia

 しかしながら,現地の社傳(看板か?)にはその旨が記述されているらしい。ウィキペディアは好きではなく,書いた本人も実際に見たようではないらしい。近くなので訪問したいと思っている。もし書かれているとすると,『南桑田郡誌』担当者が見過ごしただけかもしれない。そもそも,和銅二年四社についても早くて鎌倉時代初期の文書に残っているだけであって,確定的資料は存在しない。ウィキペディアの請田神社記事と『南桑田郡誌』(p. 213-)からすると,次のようにまとめられる。

『南桑田郡誌』請田神社及八幡宮:
 保津村。古来,松尾神社とも称せられる,とあって,丹波が国司着任前の秦氏の勢力下にあった時代からの神社という見方も可能である。

 祭神大山咋神。保津川対岸の篠村字山本には,桑田神社(p. 180)があり,祭神大山咋神他二神を祀る。もと請田大明神と称せしが,明治十年桑田神社と改称。

 いずれが延喜式の丹波桑田郡松尾神社かは,不明。兵火に何度か遭っている。

Wikipedia:
 社伝では,創建,和銅2 (709) 年という。社地の名を「岩尾」と言ったということから,平安時代中期の『延喜式』神名帳において丹波国桑田郡に「石穂神社」と記される式内社の論社に比定されている(注記:式内社の後裔を現在の神社に比定する研究は古くから行われ,延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社(ろんしゃ)・比定社(ひていしゃ)などと呼ぶ)。理由は不明ながら同じく桑田郡の式内社松尾神社とする説もある。

 延喜式には,松尾(マツノヲノ)神社,石穂(イワホノ)神社,桑田(クワタノ)神社の三社が見える。保津川対岸の篠村字山本の桑田神社は,上述の「もと請田大明神と称せしが,明治十年桑田神社と改称」という件と,捏造がないのであれば,現桑田神社は,延喜式の同名神社に対応すると考えて良いのではないか。社傳から当時の関係者が社名を戻したと考えるのが妥当ではないか。

 そして,Wikipediaで紹介する社傳(看板?)の記述を信頼するとして,請田神社は石穂(イワホノ)神社となるのであるが,『南桑田郡誌』「古来,松尾神社とも称せられる」という情報の根拠の方が妥当なように思われたりする。とにかく,一度,社傳(看板?)の記述とできれば,その根拠も知りたいところである。

 Google Earthで,京都府亀岡市請田神社で検索すると,保津町立岩4のそれにヒットした。保津川峡谷の亀岡盆地側入り口にあってかなり危なっかしい。保津川開削の記念碑的なものと見るのは納得の行くところである。亀岡市篠町桑田神社で検索すると,2件の桑田神社が現れる。その様子を示したのが図1である。篠町市街地内部にも桑田神社(篠町馬堀東垣内3-1-1)が現れている。保津川峡谷入り口右岸に見えるのが,『南桑田郡誌』に見えるものである。谷口のものの住所は篠町山本51である。

図1 保津川峡谷入り口と請田神社,桑田神社2社

1.2 神祗志料  

 京都通百科事典というものがある。ここに式内社:桑田郡桑田神社というページがある。興味深い内容で,小学校の時に習った内容に似ている。このページには,「明治26 (1893) 年刊『大日本神祗志』によると,市杵島姫命,大山咋神は,鍬山神社の祭神とともに,かつて湖であった亀岡盆地を開拓するため,自ら鍬鋤を持って保津峡を開削して水を流し出したと言われる。保津川対岸の左岸には,同じく丹波開拓伝説の請田神社がある。」などとあった。

 この文献を知らなかったので,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神祇志」(じんぎし)を見ると,

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『大日本史』の志類の一つ。 23巻。青山延于 (のぶゆき) らによる編纂を栗田寛が補成したもの。 明治26 (1893) 年刊。神祇の沿革,神社,社殿,神宮,斎服などについて記述している。

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とある。

 国会図書館デジタルコレクションを検索してみた。転載時表記例は,

栗田寛著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497 (参照 2025-10-05)。

 著者の文献表示様式では,

栗田寛, 明治9 (1876) 年- 明治20 (1887)年. 『神祇志料』 Vols. 15-17, 温故堂.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

となる。

 ダウンロードしたPDFには,第十五〜十七巻がこの順序で入っていて,丹波國七十一座は,見開きページでp. 41から始まり,その最初が桑田郡十九座(〜p. 44)である。出雲神社,桑田神社,三宅神社,小川月神社,三縣(ミアガタか?)神社(情報ゼロ),神野神社,山國神社,阿多古神社,小幡神社,走田神社,松尾神社,伊達神社,大井神社,石穂神社,與能神社,多吉神社,村山神社,鍬山神社,薭田野神社,計十九座である。

 桑田(クワタノ)神社の記述の一部を紹介したい。わかりやすくすべく表現を一部変更している。

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今,山本村字桑田にあり。浮田明神(今,請田とかけり)といふ。大山咋命を祭る(請田社傳記,土人伝説。)。傳云ふ,上古,此國湖海なりし時,出雲大神御伴の神八神を率て,此に至り,水を治むる事を議り給ふ。大山咋神即ち鋤を以て山を鑿ち,磐を劈き,水を決給ひしかば,湖涸れて國成き,後人,其の鋤を霊形(補記:霊璽に対応するものであろう。「みたましろ」と読むのだろう)として,之を祭る。大山咋神は所謂,お供八神の一也。(鍬山神社記,請田社傳記,◻︎山文集,土人傳説。)

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 桑田神社は保津川峡谷入り口右岸のもので,しかも浮田明神(今,請田とかけり)といふ,とある。「篠村史によると,馬堀の方を元宮としている。篠村七郷(篠町)の氏神さんとして信仰されている。」とあるが,誤りである。小幡神社同様,山から平地に神社が降りてきたと考えて良いだろう。この『神祇志料』には,保津川峡谷入り口左岸の宮であるはずの「石穂神社」については名は挙がっているが説明は欠落している。

1.3 「丹波湖」干拓と繋がる二社

 

 図1の請田神社と桑田神社はそれぞれ,延喜式に登録されている石穂神社と桑田神社とすることに問題はないだろう。「丹の海」

注記:

亀岡中学校校歌(作詞南江治郎,作曲橋本国彦)の一番に,
春まだ浅き 丹(に)の海の
赤き血潮に 凝りなせる
正義の旗旄(きぼう) 空高く
紀綱(きこう)を創る 雲の峰
あゝあゝ亀岡中学 その名もたかし

とあって,「丹の海」が見える。

 

 作詞者の南江治郎(なんえじろう)氏は亀岡市出身の詩人である。亀岡高校校歌も氏が作詞している。亀岡中学は,昭和22年5月5日 新学制により男女共学の中学校として開校(京都府南桑田郡亀岡町立亀岡中学校 生徒394名 通学区:亀岡町・吉川村)しているので,戦後の作品である。

 「旗旄(きぼう)」は皇帝の使節に任命の印として与えられた権威の象徴の旗であるが,正義の旗旄(きぼう)とあるので,戦後の平和と自由に期待を込めたものであろう。彼は戦前戦中の国粋主義から距離を置いていたようである。小学校を卒業してはじめて生徒手帳なるものを支給されて何となく誇らしかった。その手帳の表紙か裏表紙にはこの校歌が記されていた。中学生には難しい歌詞ではあったが,🎵「春まだ浅き 丹(に)の海の 赤き血潮に 凝りなせる」という出だしは新鮮であった。

を通じて,二社の和銅二年四社とのつながりを強く筆者はいま感じている。丹の海の歴史的成因については余りに長くなるので,ここではこのテーマを回避するが,生きた伝説としての丹の海は,ここで取り上げる神社の分布と深く繋がっていると,この研究を通じて,筆者は感じるようになった。

 現請田神社と現桑田神社はいずれも,主祭神として,大山咋命と市杵島姫命を標榜している。御神体を鋤とし,鍬山神社では保津川開削で使用した鍬が山積みになっていたという(『神祇志料』)。開削で使用した鉄器である。

 京都通百科事典には,【丹波湖開拓伝説】というのが掲載されている。『風土記』由来の情報なのか。風土記編纂の命を出した元明天皇の時代(和銅6 (713) 年)に丹波国から丹後国が分国され,それぞれで風土記が編纂されたのは確実なのだが,現在では丹後国風土記の逸文のみが残されている状況という認識なのだが。

【伝承がある神社】として整理されているので次に。

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【伝承がある神社】  

[ 徳神社 (東別院町神 原宮ノ前)] 亀岡市 の南部の 東別院町神原の谷間の集落にある神社  祭神:大山祇命(大山咋神 )  大己貴命 が、こ の地を治めていた八柱を集めて、開拓の相談が行われた地といわれる。

[ 樫船神社 (大阪 府高槻市田能)] 丹波国 南部の明神ヶ 岳の尾根の下の方の標高約360mのところにある神社  祭神:大国主命 と樫船明神  ここで、開削を行ったときに湖に浮かべた樫の舟が作られたといわれる。

[ 請田神社 (保津町字 立岩)] 保津峡 入口の左岸 にあり、桑田神社 と保津川 を挟んで向きあう  祭神:大山咋神 ・ 市杵島姫命  ここで、鍬入れが行われ開拓工事を請け負った(うけた)地とされる。  

[ 餅籠神社(もちかごじんじゃ) (所在不明)] ここから、籠で土砂を運び、豊かな農地に変えたといわれる  持籠神社(かごもちじんじゃ)とも称される  

[ 桑田神社 (篠町山本北絛)] 保津峡 入口の右岸 を走るJR山陰本線(嵯峨野線) の奥にある  祭神:大山咋神  式内社  開削を始めた地とされ、大山咋神 が開削に使った鋤と短剣が納められ祀ったとされる。

[ 鍬山神社 (上矢 田町上垣内)] 市街地南部の高槻街道の入口にある  祭神:大己貴命 (大国主命 )と誉 田別尊  式内社  開削に使った鍬が山積みにされた地(鍬山)とされる。

[ 大井神社 (大井町並河)] 市街地西北部のJR山陰本線(嵯峨野線) 並河駅と保津川 の間にある。祭神:月読命 ・市 杵島姫命 ・木俣命 (キノマタノミコト)。丹波湖の水が乾き残って「大いなる井戸(大井)」となったといわれる、境内 に「丹の池」が残っている。

[ 出雲大神宮 (千 歳町千歳出雲)] 北東部にある丹波国 一の宮 で「元出 雲」と称される  祭神:開削をした大国主命 と、その妻神 三穂津姫命を祀る  式内社 名神大 社、丹波国 一の宮  天照大御神 の天孫 邇邇芸命 との国譲り により、大国主 命 は、ここから島 根 出雲大社に遷られ祀られるようになった。

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2. 五社の海抜高度分布

 上記リストアップされた神社のうち,ここで問題にしてきた全六社のうち,請田神社,桑田神社,出雲神社,鍬山神社の四社が含まれる。ところが,残りの薭田野神社と小幡神社もこの文脈に繋がっているのではないかと考えているのである。

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上記の記述を中断して,鍬山神社と形原(かたはら:本当は「かたのはら」であろう)神社との関連を考える。京都通百科事典の形原神社から次に引用する(一部簡略化と追記)。

——— 引用〜鍬山神社と形原神社との関連

【形原神社の歴史・経緯】
寛延元 (1748) 年:形原松平家(かたのはらまつだいらけ)の松平信岑(のぶみね)が、丹波篠山から亀山藩 五万石(維新後の旧亀岡藩は現米2万8380石(表高5万石)で現米5万石未満の旧・小藩に該当)に移封される。
明治13 (1880) 年 :元藩士達の呼びかけで、松平信岑を主祭神として創建され、歴代藩主が祀られる。

【形原神社の境内】

亀山城 の三の丸にあった亀山藩 の政務を執り行っていた御館 (おやかた)と称される藩庁の南、大手門の東側に位置する。

【祭】

<神幸祭> 毎年10月20日:鍬山神社 から、鍬山宮と八幡宮の2輦(れん: 手車)のお神輿が氏子域を巡幸し、御旅所 として形原神社拝殿に出御される。
<本祭>毎年10月25日:2輦のお神輿が、城下町を巡幸し鍬山神社 へ還幸される。
引用〜おわり ———

 形原松平のかつての拠点は三河国宝飯郡形原である。これは,現愛知県蒲郡市形原町であるが,ここでも,「かたはら」と読んでいる。かつては「かたのはら」とされるが。

 筆者の小学校高学年ごろ(昭和35年ごろか),神輿の担ぎ手が得られず,いわばリアカーに神輿を載せる形に変わった。そのことが,「2輦(れん: 手車)のお神輿」という表現になっているようである。父が今の若者はひ弱になったと嘆いていた。

 亀岡中学校に接して,形原神社があって,毎年,二連の神輿が形原神社に飾られていたので,小学校時代には友人たちと観入ったものであった。神輿が鍬山神社から形原神社へそして戻るのはなぜかと質問したら,祭りは毎年繰り返すことが大事で,過去の事績を繰り返すことで確認するのだという。

 最後の藩主信正は、明治2 (1869) 年版籍奉還により亀岡藩知事に任じられ,明治4 (1871) 年の廃藩置県まで藩知事を務めた。明治2 (1869) 年の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると形原松平家も大名家として華族に列した。明治17 (1884) 年の華族令の施行で華族が五爵制になると、旧小藩知事として信正は子爵に列せられた。上記のように,「明治13 (1880) 年 :元藩士達の呼びかけで、松平信岑を主祭神として創建され、歴代藩主が祀られる」のである。江戸時代の100年近く,形原松平家が鍬山神社を支援してきたとしても,果たして,主祭神の神輿を形原神社に毎年移動することが可能だろうか。

 八坂神社に関わる祇園祭山鉾巡行の御神体は、各山鉾独自の祭祀対象であり、祭りの華やかさと厄除祈願を象徴しており,八坂神社の御神霊は神輿に遷座されるため山鉾とは異なる役割を担っている。つまり,山鉾巡行は露払いであって,八坂神社の御神霊がどこかに遷座される訳ではない。

 そのように考えると,鍬山神社の御神体が短期間にしろ,遷座されることが可能なのは,かつては,この形原神社のいわば前身というか,かつて鍬山神社の御神体が祀られていた地に戻る場合のみと考えられる。鍬山神社はかつて形原神社付近にあって,何らかの理由で,竜ケ尾山の上矢田山麓部に移動したと考えるのが自然と言えるのではないか。維新後まもない時期までは社傳にこの種の情報があって,初めて成立するものではないだろうか。

 そのように考えて,形原神社の海抜高度を調べてみると,期待通り,かつての丹の海の湖岸線に対応することになったのである。

3. 丹の海の湖岸線

 GrassGISで作成すれば良いのだけど,長く使っていないので,GrassGISに復帰するのには数日かかってしまうかもしれない。他の要件もあってどっぷりと浸かる時間はない。そこで,国土地理院の「地理院地図で見ることのできる地図や写真一覧」の「自分の作る色別標高図」を利用することにした。

 段彩図(図2 丹の海湖岸線に立地する五社)の高度設定であるが次のような観点で設定した。亀岡盆地から保津川峡谷入口付近の盆地底海抜高度は85mで,峡谷入口の峡谷開削の伝説を持つ請田神社と桑田神社が立地する狭い段丘面高度は105mほどであった。それで,丹の海の湖底高度のうち最も低い場所に対応するのがおよそ海抜85m,かつての湖岸線はおよそ海抜105mと考えた。段彩図は単に等高線だけから作成するものであるので,いわば隣接する等高線幅域で,表現することになる。残念ながら「自分で作る色別標高図」の凡例の色と地図上の色は一致しない。105m-110mの赤色はえび茶色だ。

 とはいえ,亀岡盆地が保津川峡谷の入口に向かって高度が低下してゆくのはよくわかる。さしあたり,注目したいのは100m-105m帯と105m-110m帯の境界,つまりは105m等高線付近である。前述のように,「峡谷入口の峡谷開削の伝説を持つ請田神社と桑田神社が立地する狭い段丘面高度は105mほど」であるが,その高度にほぼ一致する形で,和銅二年「創建」の二社,薭田野神社と小幡神社が位置している。実はこれは予測していたことで,実際に分布高度を確かめて,この予測があったことに感謝したのである。和銅二年「創建」の残りの二社,出雲神社と鍬山神社はより高い位置にある。出雲神社は丹波国の一宮神社である。もちろん,神社は必ずしも湖岸線に立地する必要性はない。

 峡谷入口の峡谷開削の伝説を持つ請田神社と桑田神社が当時の湖岸線に立地する意味は大きい。この2箇所が開削工事の拠点であったからである。小幡神社の祭神は開化天皇である。かつては高熊山の巌窟そばの上古小幡神社址に立地していた。何らかの理由で里に降りたのであるが,それが高熊山の峰続きの末端であった。そこに湖岸線があったからこその立地である。言わずもがなではあるが,現在と同様,台風などで大量に雨が降れば,湖面は上昇するし,汀も陸域に進む。冬の乾季には水位は下がり,汀は後退する。

 薭田野神社の前身がどこにあったのかはわからないが禊(みそぎ)の関連での湖岸立地であった可能性はある。後掲の図?には,本殿に拝礼軸を入れているが,薭田野神社と小幡神社はいずれも西方に向いている。和銅二年「創建」四社のうち,出雲神社を除く三社はいずれも拝礼軸は西方である。なお,出雲神社の拝礼軸は北方であり都の大極殿と同様とも言える。三社については,西方からの水系下流に神社が立地しているという観点も可能とは思われる。

 「2. 五社の海抜高度分布」でこだわった鍬山神社と形原神社のつながりからすると,鍬山神社は和銅二年には形原神社付近に立地していたのではないかと思われるのである。社傳では,鍬山神社には多数の鍬の山があったという。「峡谷入口の峡谷開削の伝説を持つ請田神社と桑田神社」とこの鍬山神社が,開削工事を通じてつながるためには,水運の上からも鍬山神社の前身が形原神社付近に立地したと考えるのが妥当なのである。このすぐそばには,現大本本部天恩郷が立地しかつては天守閣のあった船岡山がある。湖岸線のすぐそばには,船岡山,鍬山神社前身の立地する島,そして現亀岡小学校の桜ヶ丘が湖面に浮かんでいたのである。図2では湖岸線に立地していた五社を⚪️で表現している。開削の時代は,遅くて飛鳥時代のものであろう。

図2 丹の海湖岸線に立地する五社

 

4. 神社の拝礼軸

 作業時間をここにかけることができず,長期的中断をする。次に,図3 和銅二年「創立」神社の拝礼軸,を示す。現場に現場に出かけていない神社がほとんどであり,訪問の後に修正するつもりである。

図3 和銅二年「創立」神社の拝礼軸

5. 流域洪水緩和機能からの離脱

 国土交通省近畿地方整備局
淀川水系河川整備計画における取り組み
https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/yodo_sui/index.html
3.7.2 亀岡盆地について
https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/yodo_sui/qgl8vl0000007l7e-att/091113sono4.pdf

 などに見えるように,亀岡盆地に隣接する京都盆地桂川流域のとっては,亀岡盆地での洪水常襲環境は好ましくても,亀岡市民にとっては耐えられず,府さらには国への対策を要望してきた。

 昭和三十六年八月の十六号台風での被害は甚大で,国も動かざるを得なくなってゆく。その流れを簡潔にここに示したいとは思っている。図面も合わせて示すが,あくまでも,丹波の初代国司赴任よりもはるかに前,とは言っても,保津峡谷の開削が認識されていた時代について,ここでまとめたいと思う。

 GrassGISを使う可能性が大であるが,簡便なQgisはより便利になっている可能性があり,Qgisで実行するかもしれないが,峡谷筋と横断面図を作成して,台風16号以降の近代的な工事と,過去の工事をできれば,峻別したいと思っている。文字や画像のスペース配分と,締切との兼ね合いもあって,このGISによる作業には至らない可能性もある。

 で,図2の凡例には,文字「1961年台風16号」を追加しているが,これは海抜92mの等高線に対応するものである。この海抜92m付近の南郷町の住人の記録を踏まえた結果である。

 海抜92mコンターがいわば,丹の海の105m汀線に対応するのか。昭和三十六年当時では保津川の水は河道内に止まっている。つまり,保津峡入口では海抜85mよりも低い。それが台風時には,92m-85= 7mよりも水位が低いのである。丹の海と対照してみると,92mコンターよりも高い水面であった可能性もある。丹の海の低水位の場合である。

 大井神社は和銅三年に「創建」とあるので,大山咋神による工事のあとに,立地していて,すでにこの時には,昭和三十六年当時の亀岡盆地の環境が実現していたと考えても良いのだ。

 

 とにかく,ここで中断する。

以上 2025年10月10日。十三日。